正社員をバックレるとその後給与や離職票はもらえるのか?経験者20人に聞いてみた。
会社のバックレ、いわゆる無断欠勤で勝手に辞めることはバイトなら許されるけど正社員には許されない。
そんなイメージのある人も多いんじゃないでしょうか?
でも実はそうでもありません。
むしろ会社で働いてる正社員の方がバックレる人は多かったりします。
その理由は従業員が辞めたいと言っても会社が辞めさせてくれないケースが多いからです。
バックレる人は好きでバックレてるわけではありません。
辞めたくても辞めれないから仕方なくバックレるんですよね。
つまり会社が悪いケースが大半です。
しかし正社員をバックレて勝手に辞めるとなるとその後
- 給与がもらえるのか?
- 離職票はもらえるのか?
- 失業保険はもらえるのか?
など、不安なが大きいのも事実。
ってことで実際に正社員をバックレた人にその後どうなったのか聞いてみました。
正社員の会社バックレ体験談
体験談1 パワハラによる体調不良で会社で倒れたら心配するどころか体調管理ができないのは社会人失格と怒られ、その日からバックレた出版社の例
会社の職種 | 出版社 |
---|---|
給与 | 月収20万円、年収300万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 3年 |
正社員をバックレるに至った理由
入社から3年間、理不尽なことも多々ありましたが、その都度、我慢してきました。
上司の言いなりになっていたのです。
そうしないと仕事がスムーズにいかないからです。
明らかに上司の方が間違っていると思った時もありましたが、いつも私が罪をかぶるような感じでした。
その方が人間関係も円滑にいきます。
ただし、ずっと我慢し続けていたことで、ある時、体調に変化がもたらされるようになったのです。
吐き気がしたり、胃が痛くなったりすることが続きました。
一応、病院に行って薬を貰ったのですが、ストレスからくる胃潰瘍だという診断を受けました。
本当は少し仕事を休んで療養した方がいいということでした。
それでも仕事を休むことなく、体をだましだまし何とか会社に行っていたのです。
そしてついに会社で倒れてしまいました。
それでも上司も周りも全く心配してくれません。
体調管理ができていないのは社会人失格だと、かえって怒られてしまいました。
さすがにこの理不尽さには我慢が限界を超えてしまい、翌日、バックレてしまったのです。
もちろん、同僚や上司から電話がかかってきました。
いわゆる無断欠勤になってしまいます。
この時の私は自分が悪者になってもいいから、とにかく仕事を休みたい、もうどうでもいいというような気持ちになっていました。
電話も無視して出ないでいれば、そのうち鳴り止みます。
自宅は会社から遠いので、わざわざ誰かが訪ねてくることもありません。
その日は一日、寝て過ごしました。
正社員をバックレた時の話
このように、一日中、家で寝て過ごしているうちに胃潰瘍の調子は良くなってきて良かったです。
やはり仕事や職場の人間関係がストレスとなり、胃潰瘍となっていたのでしょう。
そんなふうに思い、もっと自分が落ち着ける場所に行こうと決めました。
それは実家です。
幸い、実家は歩いて行ける距離にありました。
翌日から実家でずっとゆっくりと過ごしたのです。
もちろん、無断欠勤のままなので、会社からは私の携帯電話に電話がかかってきます。
両親には有給をもらったと話しておきました。
本当は内心、ちょっとビクビクしていたのは言うまでもありません。
それまで真面目に勤めていた私なので、こんなことをしたらこの先どうなるのだろうという気持ちが湧いてきました。
そして、三日目が経った頃、実家の固定電話に上司から連絡がきたのです。
履歴書に緊急連絡先として記載していたからなのでしょう。
母親が電話に出てしまったので、私が無断欠勤をしていることが母親にバレてしまいました。
それからは家庭内でよく話し合い、とにかく無断欠勤したことは私が悪いので会社に謝るように両親にすすめられました。
それに辞めるにしても私物が職場に残っています。
退職願もきちんと提出しなくてはなりません。
まだ若かったこともあり、謝罪に行く際、両親が会社までついて来てくれました。
私が悪者になってしまいましたが、とりあえず退職願いを提出し、その場で退職という形になり、これでようやくホッとできました。
正社員をバックレた後どうなったか?
会社の規定では退職願を提出してから1ヶ月は引き継ぎのために勤めなくてはなりません。
その規定を破ることになったので、退職金は貰えませんでした。
ただし、それまでのお給料は日割り計算で貰うことができました。
問題はこの先のことです。
体調を整えてからは求職活動をしようと思っていたので、離職票を貰う必要があります。
幸いなことに、経理担当者は親身的でいい人ばかりだったので、この点はきちんとしてくれました。
そのため、離職票を貰ってからはハローワークに行き、失業保険を貰うことができたのです。
ただし、一人暮らしはきつくなってしまったため、すぐに実家に戻ることにしました。
失業保険を貰いながらしばらく実家で療養という形になりました。
その後もなんだかんだと手続きなどがあったので、経理担当者からは何度か手続きに関する電話がかかってきましたが、味方になってくれなかった上司や同僚からは何も連絡はありませんでした。
体験談2 熱が出て歩くのもつらいのに人手が足りないので無理して仕事に行ったら体調管理はしっかして。明日必ず出勤してと理不尽に言われ、バックレた介護職の例
会社の職種 | 介護職 |
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給与 | 月収15万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 3年 |
正社員をバックレるに至った理由
私が務めていた介護の職場はとても人手不足な状態でした。
その上お客さんもたくさん住んでいて多い時で80人の対応をしていたと思います。
その中には介護が軽い方や重い方がいましたが、私はだいたい重い人を担当していました。
なぜかというと、職場のなかでは一番若くて力もあったことと、社員だから断れない状況でした。
パートさんはだいたい50歳過ぎの方が多く頼める環境ではありませんでした。
でもその中にはベテランな方々がいたので、介護の技術はたくさん教えてくれました。
そういった部分では頼りになりました。
人手不足なことは毎日でした。
一日中動き回るスタッフ、私も嫌になり、上司に相談したり、わたしに、パートさんたちはこういう状態を伝えて欲しいとお願いされるので、伝えたり、そんなこともあり間に入ることも多々ありました。
とてもストレスに感じました。
上司に伝えても何も変わることはありませんでした。
聞いてはいるのだろうと思います。
でも介護の仕事はあまり人気な訳でもないことはわかっていたので、募集をしても目をつけてくれる人はあまりいないのかな、と薄々感じてはいました。
しかし募集をしてもないのに諦めている上司に苛立ちました。
どうせ無理だよ、広告に載せるのもお金かかるし…そんなことを言い訳のようにいって来たのです。
そんな会社にずっと居たくない、私は社員だけどパートさんの話も普通なら上司が話や相談を乗るのでは?と思うのでした。
こういった不満が大きくなりバックれることになりました。
正社員をバックレた時の話
私は普段、仕事を休んだりしませんでした。
ですがたまたま本当に辛くて歩けないほどの熱を出してしまったことがありました。
そんな時私は具合が悪くても人手が足りないと感じているからか休めませんでした。
本来なら上司から、休んで病院でもいきな、といってくれると思います。
ですが私の上司はそんなこと一度もいってきませんでした。
自分の体の管理はしっかりしてよ。といってきたのです。
私の代わりに上司が代わりに業務してくれる訳でもなく、私の体のことを心配する訳でもなく、自分が大変になるだけで困るという態度を取ってきたのです。
これは理不尽だ。と呆れてしまいました。
私も自分がなりたくて病気になった訳でもないし、疲れやストレスが影響して体も悲鳴を上げているんだと思いました。
私は何が何でも休んで病院に行こうと思いました。
上司は私に、じゃあ明日は来てね。といってきたのでした。
次の日には治して出勤するのは無理だと思ったのですがその時言い返せないほどムカついていました。
悔しいですが上司はあまり仕事を休まない人なので、気持ちがわからないんだと思いました。
人の気持ちを考えられないのもどうかと思いますが、上司のような人はたくさんいるんだろう、と感じました。
でも私は許せませんでした。
明日は明日にならないとわからないし、一日で治るような体ではないと医師からにも言われていたし止められていました。
そして次の日、具合は悪いままでした。
私はその日連絡せずに休んでいました。
正社員をバックレた後どうなったか?
・電話は3回くらいきていました
・給与はもらえました
・離職票は本社に頼んでもらいました
・福利厚生はしっかりしてたので失業保険ももらえました
・源泉徴収票もいただきました
元々私の会社は福利厚生がしっかりしていましたし、事務員の方もいたので、訳を話したら本社に頼んでくださったので私は何もストレスなくやめることもできました。
上司とは何も口は聞きませんでしたし、話したくもありませんでした。
上司は本社から注意をされることになりましたし、私に対して酷いことをしてたので降格したそうです。
私はそのことを聞いて、バックれてしまったけど、良かったと思いました。
自分の体の方が大事ですし、こんな仕事場にいる必要も無くなったので本当に安心しました。
体験談3 離職率が異常に高く、入ってすぐ皆辞めて5人分の事務処理の仕事を一人でやることになり、退職願を出しても受理されなかったのでバックレたIT企業の例
会社の職種 | IT企業 |
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給与 | 月収25万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 9ヶ月 |
正社員をバックレるに至った理由
試用期間が終わり、いよいよ正社員となる時に、同期で入った子が次々と試用期間切れとなり、退職する子が増えていきその人たちの分まで、仕事がまわってきて仕事量が増えて働くことにもしんどくなってきました。
もともと事務処理の量も多く、さらに仕事が増えてきて、こなすのに残業になることもありました。
仕事が終わらないと帰れない上に、シフト制ですが、ほとんど休みがなく、酷い時には、会社に泊まることもありました。
先輩たちも離職率が高く、あっという間に、辞めてしまいその分の仕事もきて大忙しになりました。
そのうち仲良い同期の子も辞めていき、お世話になった先輩たちも辞めていき、そのうち会社から給料当月払いから来月末払いにしたから、事務処理お願いと頼まれた時に退職を決意しました。
こんなに大変で忙しい職場の上に当月払いから来月末払いに変える処理をしながら、本当に辞めたいと思いました。
そして社長からさらなる書類の作成をする事態になりました。
そして、書類の山を片付けたり、書類の作成をしたり、一人で5人分ぐらいある事務処理をする日々でした。
そのうち本当に辞めたくなりました。
何日か無駄欠勤して考える時間を自分なりに考えました。
やはり来月から当月払いから翌月末払いに給料が変わることに不満を持ちました。
社長から書類作成を頼まれる日々に本当に嫌気がさし辛く感じました。
それが大きなきっかけになりました。
頑張って我慢していましたけど、やはりしんどいので辞めることにしました。
正社員をバックレた時の話
計画を立てることから始めました。
まずは引越し先も確保して、その上仕事量がわかる書類の山や業務がわかるものをひたすら写真撮っておきました。
その上で社長に退職願いを出しました。
当然受理されないことはわかっていたので、これ以上業務が増えたら明日から来ないかもしれないですよと言いました。
そしてこの業務誰がやるのですか?
私はやりませんからと言いました。
その日のうちに会社の荷物を経費を使って荷物を送りました。
さらにデスク周りの片付けをしました。
誰も来ないことを狙って、夜遅くまで片付けをしました。
しかしながらも、そうそう上手くいきませんでした。
一人の社員が戻ってきてしまい、どうしたんですか?と聞かれてしまいました。
私は明日から来ないかもしれないですよ。と言いました。
そしたら彼は辞めるんですか?と言ってきたので、そうです。と答えました。
これをきっかけでケータイまで買え変えることにしました。
逃げるようにして会社を後にしたのが終電でした。
頭の中ではケータイを変えることしかありませんでした。
居場所もケータイも全て新しくして新規一転したいと思うようになりました。
誰にも知られたくないし、誰にも会いたくありませんでした。
その日は本当に疲れた一日でした。
だけどすごく気持ちが楽になりました。
社長からも連絡が来ないように自宅に誰も来ないように、逃げるように自宅に帰り翌日引越しをしました。
会社から送った荷物を受け取る必要があったので、郵便転送する手続きをしました。
正社員をバックレた後どうなったか?
引越しの日に荷物を片付ける前にケータイを変えました。
給料も貰えるか不安だったので、労務局にいきました。
そして証拠となる写真などを担当者に見せてさらに無料弁護士に相談するように言われたので、そこに相談しました。
公的な書類などを会社から受け取るため、郵便転送することをすすめられました。
そのうち労務局から監査が入って翌日には給料が支払われました。
弁護士に相談した甲斐があって、離職票や源泉徴収など受け取ることができました。
そして、労働勧告基準法違反で社長から謝罪文を受け取りました。
そして中の社員さんは酷い働き方されたことに気づき労働組合ができました。
今となれば、我慢しないで相談できればよかったと思っています。
体験談4 怖い先輩とのマンツーマンOJTに耐えられず会社に行けなくなり、直属の上司に時間をもらって相談してその場で辞めた航空業界のコールセンターの例
会社の職種 | 出版社 |
---|---|
給与 | 月収20万円、年収300万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 3年 |
正社員をバックレるに至った理由
新卒で航空業界にどうしても入りたく、唯一受かった会社がその会社でした。
最初は自分も飛行機にお客様を乗せて、飛ばす大切な役割を果たしているポジションの会社だからがんばろう!と、とてもやる気があったし、ゆくゆくは、同じ航空業界内の違う会社への転職も考えていたので、早く業務を覚え、経験を積もうとやる気に溢れていました。
ただ、実際に研修が始まると、電話対応をしつつ、パソコンの操作をする難しさと、航空系の会社といってもあまりに飛行機や空港とかけ離れている気がして、少しモチベーションが下がってしまいました。
また、大学時代に留学をし培った英語力や、学んだパソコンの操作の技術も、その会社では独自のシステムを入れていたり、英語もあまり必要がなかったので、がっかりしてしまいました。
さらに自分は周りより覚えるのが遅かったり、一日中パソコンを見ていることの苦痛などどんどんとストレスがたまり、自信も喪失して行きました。
そんななか独り立ちのための先輩とのマンツーマンのOJTで、怖い先輩にあたってしまい、何度も注意を受けたり、横で常に「そんなこともできないの?はぁ?」とか言われているうちに、プレッシャーがかかりすぎて、普段しないミスまでして、結局残業になってしまいました。
先輩はさらに不機嫌になり、そのあと少しだけ作業して、先に帰って行きました。
後に残された私は涙がとまらなくなり、他の上司や同期に励まされましたが、辞めようとその瞬間、心に決めました。
正社員をバックレた時の話
辞めようと決めた日の帰るときに、自分のロッカーの中をさりげなく整理し、カバンの中に一番大切な物や書類は詰め込みました。
とは言ったものの、せっかく高い倍率をかいぐくって得た職だったので、翌日の朝、目がさめると一応、会社に行く用意はしました。
でも食べ物も喉を通らず、水を飲んだだけでも吐きそうになり、胃が痛く、会社のことを考えるだけで泣けてきてしまったのでした。
それでも、会社に行ってしまえば大丈夫何じゃないかと思い、会社へ向かう電車に乗りましたが、途中から頭痛もでてきたので乗り換えの駅でコーヒーショップに入り、そこから、会社へ体調不良で今日は休むことを伝えました。
その後、やっぱり自分は辞めないとこの苦しみから解放されないし、本当にやりたかったことではないから下の仕事に未練などないと自覚したのでした。
そして、駅の近くの文房具を扱っているお店で、辞表や感謝の手紙を書くための、便箋を買いました。
再び、コーヒーショップに戻りそれらを書き、翌日に会社に提出することを決意しました。
翌日、会社に朝電話をし、今日も休みたい旨と、自分の直属の上司に話があることを伝え、時間を取ってもらえないか交渉しました。
偶然にもその日に上司に空き時間があったため、午後会社へ行き、小さな部屋で自分の気持ちと辞めたいこと、また、これからどのような仕事をしたいかなどを話しました。
人生であんなに会社へ行く気持ちが重い日はなかったと思います。
でも、意外と話がさらっと進み、小一時間で全て終わりました。
ロッカーの整理もしてあったので、私物の撤去や、処理は5分とかかりませんでした。
正社員をバックレた後どうなったか?
上にも書いた通り、バックれといっても一応電話はしていたので、何度も電話がかかってくるなどといったことはなかったです。
お給料は、しっかりと日割りでもらえましたが、締め日から10日後ぐらいで辞めたので、源泉徴収されると、手取りは1万そこそこしかなかったと思います。
大手だったからか離職票などかなり早めに郵送でもらえましたし、対応も丁寧でした。
失業保険は、対象外だったため、もらっていません。
ただ、そういった制度の説明などはほぼなにもなかったので、簡単な書類等でいいので、渡してくれても良かったんじゃないかと少し憤りを感じます。
源泉徴収票も離職票と同じタイミングで郵送でもらえたと思います。
やはり大手なせいか、事務処理はとても早かったし、書類を出してもらえないということは一つもなかったです。
体験談5 上司のパワハラにうつになりかけ、相談してもダメだったので無断欠勤してバックレた薬剤師の助手の例
会社の職種 | 薬剤師の助手 |
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給与 | 月収13万円 |
年齢/性別 | 30代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 1年 |
正社員をバックレるに至った理由
上司にパワハラを受けたためです。
何度も病院に話して解決してもらうようにお願いしましたが、その人は昔から、そんな感じの人だから、直らないんだとばかり、言われまして、このまま続けるのは精神的に辛くて、悩んでいました。
ある日、仕事に行く途中に、吐き気とめまいが起こって、そのまま休んでしまいました。
そして、やめました。
私の仕事を否定してばかりで、嫌みばかり言うと思いきや、その10分くらい後に、ヘラヘラしながら近づいてきて、今度は、誉めまくったり、ちょっとその上司も、精神的におかしかったのかもしれません。
そのギャップに付き合うのも疲れたし、その上司の暴言のせいで、仕事にミスが発生したりと、なにもかもうまくいかなくなりました。
他の人には全くそんな風にはしないので、余計に疲れました。
悔しくてイラついて、反発したこともありましたが、あちらの方が、もちろん頭がいいので、言葉では負けます。
なんで、あんな風に人を壊すことに楽しさを感じるんだろうと、ムカつきました。
しかも、なんで県立病院の薬剤師の次長という立場についていられるんだろうと、日々、悶々としていました。
やめさせられた人はそれまでに、何人もいるそうです。
それを相談されても、ほっといてる、病院側も嫌だったので、やめたいやめたいと仕事に集中することが不可能になりました。
本当に辛い体験でした。
鬱気味になってしまって、その後の仕事につくのに凄く大変な思いをさせられました。
正社員をバックレた時の話
無断で休んだその日の夕方に、パワハラ上司とはまた別の上司にから電話が来ました。
私はなにもかも洗いざらいに話しました。
もちろん、無断欠勤はいけないことです。
それはわかっていましたが、もう無理でした。
その日は、ずっと、辛くて泣いていました。
別の上司に話したら、わかってくれました。
ただ、その次長をやめさせるわけには行かないそうで、結局は、助手の戯言扱いで、解決されて終りました。
本当は、病院を訴えようかと思いました。
それを家族に話したら、訴えても、解決しないと思うと言われてやめました。
他の薬剤師の先生に相談しても、やはり、そういう人だから、仕方ないよといわれて終了でした。
無断欠勤した日に言われたことは、結局、会って、詳しく内容を聞きたいので、来てくれないかということでした。
聞いたところで、なんともならないのにと思いました。
このようなことを、昔から何回も繰り返してきたんだなと思いました。
みんな見て見ぬふりでしたし、辛い辛いと私がどんなに言っても、結局他人事なんです。
薬の棚卸しをしなければいけないときも、次長が仕事を終えるのを待ってからじゃないと、できなくて、ずっと、仕事の時間が過ぎても待っていました。
そしたら、なんでまだいるの?帰りなさいといわれて、その日の残業代はもらえずでした。
それを見ている回りの薬剤師の先生もなにも言えず、コッソリあやまられました。
でも、次長は、謝りもせず、ふてくされたような態度でした。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話は、無断欠勤した日に一度来ました。
給料はボーナスと共に、もらいました。
失業保険はもらえませんでした。
離職票と源泉徴収書はあとから、郵送してもらえました。
制服とか、ロッカーの鍵を返さなければいけないこともあって、やめてしばらくしてからでもいいので、来てほしいと言われました。
返しに言ったときに、別室に呼ばれて、仕事をしているときにあった、辛い体験を教えてほしいとのことで、次長の上司に、何度も相談した内容と、無断欠勤した日に電話で話した内容を、またいちから、話すということをしました。
何回話せばいいんだって感じでした。
何度も説明したところで、何ともしてくれるわけではありません。
県立病院の闇を見てしまいました。
体験談6 会社に行けなくなり、上司と会って話し合いをしたが退職理由を納得してもらえず辞めれなかったのでバックレたデイサービスの例
会社の職種 | 介護職 |
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給与 | 月収20万円、年収240万円 |
年齢/性別 | 30代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 1年 |
正社員をバックレるに至った理由
デイサービスで正職員として働いていました。
働きはじめたその日、先輩方が歓迎会を開いてくれ、とても良い雰囲気の職場に感動し、ここであれば長く仕事を続けられそうだと思いました。
その場で職場のグループラインに登録させてもらい、これから働いていくのが楽しみになりました。
実際働きはじめたところ…プライベートの拘束時間が長すぎることに徐々にうんざりとしてきました。
まず、無意味な会議でなかなか帰れないこと。
正職員であるということで、勤務時間前に早く出勤するようにとのこと。
仕事量のとてつもない多さ…。
体も心も徐々に疲弊して行きました。
極めつけは、初日の歓迎会で登録したグループラインです。
このグループラインが連日深夜まで稼働しているのです。
もちろんすべて仕事の話です。
デイサービスでお祭りなどのイベントがあれば、勤務終了時間後もその打ち合わせを延々とラインで行う。
今日あった事故の報告や反省もラインでやりとりする。
明日の仕事の内容もラインで打ち合わせする。
家に帰ってもラインがずっと鳴り響いている状態で常に業務の話をしている状態で、全く仕事から解放されず休まりませんでした。
家に帰ってまで、明日話せば良いようなことをラインでやりとりしている、この状況を誰もおかしいと思わないのか?とだんだんと疑問に思うようになりました。
あと、毎週末必ず飲み会があるのも憂鬱でした。
常に仕事仲間に縛られているような日々でした。
このおかしな職場関係を脱したいと思い、1年勤めたあとバックれました。
正社員をバックレた時の話
常に仕事仲間に縛られているような状態に耐えられず、ある日「もう今日は仕事に行けない」と思いました。
その日は職場に電話して「体調が悪いので休みます」と伝えました。
しかし、もうこの時点で二度と行く気はなくなっていました。
午後になって、もう一度職場に電話をし、職場のトップの上司に「仕事を辞めたい」という旨を伝えました。
とりあえず一度会って話をしようと言われたので、職場の人間が他に誰もいない時間帯に一度だけ職場に行って、話をしました。
しかし、理由が理由なのかなかなか納得してもらえません。
ラインで拘束されることについても「職場の人間同士の仲が良いことの何がいけないのか」という感じでした。
毎週末開催されてプライベート時間が拘束される飲み会についても、同じようなことを言われました。
かなり長い時間話し合いましたが、結局その日は分かってもらえませんでした。
しかし、明日からも仕事に行く気はありません。と、いうよりも行けません。
「行けない」ということは伝えたから良いかな…と思い、翌日からバックれました。
当然電話はかかってきましたが、しばらくの間無視しました。
少し経てばほとぼりが冷めて、あきらめてくれるのではないかと思い、バックれ続けることにしました。
ライングループも退会し、職場の人間は全員ブロックしました。
ライングループを退会してブロックしたことで、これまで縛り付けられていたストレスから一瞬で解放されました。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話は一週間ほどかかってきました。
一週間経ったある日、留守電に「退職の手続きが必要なので一度来てほしい(保険証の返還などのため)」と言われたので、どうしようか迷いましたが、嫌々行きました。
結局退職の手続きをしなければ、次の仕事も探すことができないので仕方なかったです。
上司ももうあきれかえっている様子で、ほぼ無言で書類を渡されました。
そこで離職の手続きを何も言わずにしました。
離職票はもらえましたが、そのあとすぐに別の仕事を始めたので失業保険はもらいませんでした。
給料は最後の月に働いたぶんは全て振り込まれていました。
働いていた施設自体は小さかったですが、会社自体は大きな会社だったので、年末に源泉徴収票が本社から送られてきました。
体験談7 残業代なしなのにほとんど終電の会社で2回退職を願い出たが受理されなかったのでバックレた機械設計会社の例
会社の職種 | 機械設計 |
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給与 | 月20万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 半年 |
正社員をバックレるに至った理由
機械設計の事務所に正社員として入社しました。
収入は月20万でしたが、その中に残業代が入っていたのです。
求人では「月20万円+残業代」と書いてあったのですが、月20万円が固定給になっていました。
そのためどんなに残業をしても給料は全く上がりません。
最初の月は入社してすぐということもあり残業がそんなにありませんでした。
しかし、入社して二ヶ月でもう大きなプロジェクトの中に入ることになり連日残業でした。
一日の残業が二時間くらいならまだいいのですが、ほとんど終電で家に帰っていました。
一ヶ月それを続けた時、「これなら派遣で働いている方が稼げるのではないか。」と思い出したのです。
派遣なら残業代もきちんと出ます。
それも残業代が全く出ない固定給なのでタイムカードもなく、出勤退勤時間を自分で記入する方法でした。
どうにか頑張っていましたが、体調を崩しても休むことができないのです。
人もギリギリでしたし、納期もギリギリでしたし。
そのため社員はみんな一生懸命黙々と仕事をしていました。
一見いいように思われるかもしれませんが、一緒に働いているのに働いている人がみんな仲良くないのです。
コミュニケーションを取ることもなく、「この会社は私語をしてはいけないのか?」と思うくらい誰も話をしません。
業務連絡をしたらいい方でしたし、その業務連絡もメモに書いて渡すくらいでした。
激務で職場内で愚痴を言い合う相手もいない。
そんな職場環境についていけませんでした。
正社員をバックレた時の話
仕事があまりにも忙しくて、このままこの生活が続いていくのか。この生活が続いても固定給の月20万円なのか。と疑問に思うようになりました。
私はこの疑問を社長と部長にぶつけてみたのです。
すると、あっさりと「給料はこのまま。」というと答えが返ってきました。
私はあまりにも愕然としてしまい、その場で退職を願い出ました。
しかし、仕事が忙しいことを理由に辞めさせてくれませんでした。
私はさすがに自分の仕事をほっぽり出して辞めるのは大人気ないと思い、そこから一ヶ月プロジェクトが終わるまで働きました。
その間色々考えこのままこの会社で働いた方がいいのか。と考えました。
ですが、このまま給料も上がらずこき使われ年齢が上がればどんどん転職が難しくなります。
そうなると本当にどうにもできなくなる。と思い、プロジェクトが終わってから辞めることを決意しました。
ちょうど会社に入社して半年経った時、プロジェクトが終わり納期を迎えた日に、もう一度社長に退職を願い出ました。
答えは同じで辞めさせてもらえませんでした。
私はもうやることはやったし辞めることも決意していたので、次の日にバックれました。
実は私が入社して半年経った間でも何人かバックれていたのです。
社員同士の私語がない会社だったので、その人がどんな気持ちで仕事に来なくなったのかはわかりませんでした。
しかし、私も「この会社を辞めるならこういう辞め方しかないのかな?」と思っていました。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話はバックれた当日始業時間が過ぎてすぐにかかってきました。
私は最初の電話に出て辞めることを伝えました。
すると以外にあっさりと会社は引き下がってきました。
給料もちゃんともらえましたし、離職票ももらえました。
半年くらいしか働いていませんでしたが、失業保険ももらえ、その間に次の仕事を決めました。
源泉徴収票もちゃんともらえました。
バックれたりすると給料が振り込まれなかったり、離職票をもらえなかったりなどの話を聞きます。
しかし、管理がずさんだった割に辞めてからは意地悪をされたりはありませんでした。
たぶん、私が在職している間にもバックれる人が何人かいたのでバックれされることに会社自体が慣れているのだと思います。
体験談8 仕事が嫌になり風邪で休んだ後そのままバックレたガス設備会社の例
会社の職種 | ガス設備、施工 |
---|---|
給与 | 月収17万円、年収230万円 |
年齢/性別 | 20代男性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 1年 |
正社員をバックレるに至った理由
資格を取るためにたくさんの勉強が必要でした。
私は職人として入社したので資格は二、三個でよかったものの何個もとらされました。
この資格の受験料は会社が出してるからしっかりとやれよ!と言われてたんですが。
わたしにはまったく関係ないのばかりでした。
ときには、まったく使わない資格も勉強して受けたりしていました。
私は勉強が苦手なのでなかなか受かることが難しいので、山ほど勉強して受けにいってました。
私は何回も落ちて社内の周りの目線が気になってきました。
資格があればあるほど給料が上がるので同期のみんなは自分よりもどんどん上がっていきました。
私は一人で残された感じがしてたんですが、最初は我慢して仕事していたら先輩たちの態度がだんだん変わっていきまだ、3ヶ月しかしてないのにたくさん怒られてわからないし教えてもらったことないのに怒られたので納得がいきませんでした。
仲のいい友達とも話したりして相談をしていたんですが、周りにはあまり迷惑をかけたくないと思っていてストレスをためていました。
教えてもらってないのに、〜をやっといてくれ!と言われても何をどうすればいいかわからず、先輩と二人での作業なので当然誰にも聞けず先輩に、すみませんわかりません!と毎回言うたび怒られてました。
相談する人もいない怒られっぱなし褒められることはなかなか無い。
どうみても成長はできないし将来がみえないと思いやめる決意をしました。
やめることを先輩とかに言うのはすごく気まずいのでそのまま出勤もせず、家にいました。
正社員をバックレた時の話
私は最初は風邪を引いたと言って有給を使い休みをとりました。
風邪で2日間休んで流れをつくりました。
私はいつも出勤する時間は8時〜8時30分の間に会社につくように家をでてました。
その時間帯はなるべく外に出ないようにしたり注意を心がけていました。
休んでから三日後何も報告をせずバックれをしたときは先輩にも会社にも同期にも誰にも連絡せず、ただ家にいました。
電話しても、どうせ会って話そうとなり褒められてまた仕事して怒られての繰り返しだと思いますし気まずいです。
朝7時30分ごろに起きて家をでて飲食店や公園などにいました。
必ず家にきたりたくさんの電話が鳴ると思ったので家をでて電話もなにも反応しないのが一番だと思いました。
家に帰ってきたのが9時頃で家には母がいました。(会社から電話がきたよ!)と言われました。
親には辞めたことを言いましたがバックれていることは言っていませんでした。
後日家をお伺いすると言われたらしいので、親には出ないようにしてほしい!と言いました。
親はわかってくれたらしく会社の人物がきても反応をしませんでした。
家から会社は近いので身を潜めるのがとてもたいへんでした。
私の携帯にはたくさんの着信がきていて、知らない番号がきても出ないようにしていました。
1週間〜2週間たつと相手も諦めてくれたのか携帯の着信がならなくなり家にもこなくなりました。
手紙などもきましたが、全て捨ててくれたのでたすかりました。
正社員をバックレた後どうなったか?
バックレた後の電話は1日10件以上でした。
時には20件とかもありました。
留守番電話なども入っていてたくさんの音声メッセージがきておりました。
給料はしっかり払ってもらいました。
有給を使っていたと言いバックれた月の分までももらえたので嬉しかったです。
離職票は気まずかったんですが、半年後に自ら会社に行きもらいました。
失業保険はもらいたいと言ったんですが辞めた内容が内容なのでもらえませんでした。
全ての制服を返して、交通費ももらいたくさんの福利厚生があったので良い会社なんだなと思いました。
退職金も少しですが、もらえたのでよかったです。
他のは全てもらえなかったです。
交通費がなかなか高くもらえましたのでびっくりしました。
体験談9 1日中ネジ造りをする仕事が嫌になりうつになりそうだったときに遠距離の彼女ができ、彼女の家にそのまま住んでバックレた例
会社の職種 | 製造業 |
---|---|
給与 | 月収17万円 |
年齢/性別 | 40代男性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 4か月 |
正社員をバックレるに至った理由
就職後、工場内で旋盤で小さいネジを加工してました。
1日ネジ造りに明け暮れて機械の音と油の臭いで半分うつ病になりそうでした。
特に自分自身に興味や趣味があった訳ではありませんが何か他に楽しい事を見つけないといけないと考え出して、当時会社の寮に住んでいました。
寮の人達とも相談しましたがお酒を飲んでリフレッシュしたら、とかいろいろと言ってはくれるのですが僕にはお酒が飲めないので余計に考え込んでしまった事もあり本当にヤバいと思い始めました。
とある会社の休みの日に本屋に行こうと思い特に目的があった訳ではありませんでした。
いろいろと本を見てるうちに、ある雑誌の中面に文通やりませんか?と言う内容がありなんか気になり本を購入し見てるうちにある一人に目が止まり手紙を送りました。
何日かして返信が届いたんでそれで何通か文通してるうちにその女性に会いたくなり一度会いに行きました。
当時僕は大阪でその女性は山梨でした。
初対面の時はただ話をして夜は近くのビジネスホテルで寝て帰りました。
仕事の疲れもなんとか軽くなってきましたか、今度はその女性の事が好きになり4回目か5回目位の時にその彼女と一晩共に過ごす事になりました。
ただ大阪〜山梨なのでかなりの遠距離になってしまう事も考えてその後3回目位の時に女性からもう帰らないでこのままこっちにいてよ。と言う言葉がありました。
女性も独り暮らしでもうどうにでもなれと言う気持ちで山梨に残る事にしました。
正社員をバックレた時の話
無断欠勤してから1週間位後、実家から連絡がありました。
電話してみると僕の勤めている会社から連絡がとれないことや同僚が今の僕の状況を説明してその後身元保証人の実家の父親に連絡が入り双方同意の元僕が解雇になりました。
その事を父親が連絡してくれきて寮の荷物等実家に移すからと言う内容ととりあえず一度実家に帰って状況を説明してくれと言う事でしたので一度実家に帰る事にしました。
首になった僕でしたが給料は普通に月給の日払い計算で振り込まれていました。
離職票も実家に送付してくれていましたが僕は実家に帰ってから数日後彼女の待つ山梨まで行きそこで旅館の仕事をしつつ彼女と同棲していました。
会社に解雇されてから1ヶ月以内には再就職した為に失業保険の手続きは一切しませんでした。
唯一解雇された会社の寮の友達にゲーム等貸しているものがあった為に実家に戻った時に寮により、寮の人達にはいろいろと聞かれ説明はしましたが皆納得はしてくれませんでした。
ただただ僕自身が弱い人間だと言う事で終わりましたが寮を出る時は皆優しく接してくれていました。
もう数年前の話にはなりますが今思うと凄く良い思い出として胸に深く残っています。
今だにまだ会社の同僚の仲間とは時々会って楽しくしています。
あのときあの本屋で雑誌を手に取って購入しなかったら今の自分はなかったと思います。
と言うのもその彼女と結婚することになり今はとても幸せに暮らしいます。
また子供もでき幸せに過ごしております。
あのとき自分自身落ち込みやる気をなくしていた時期、どうしようもなく深く悩んでいましたが人間と言うのはどこで転機が訪れるのかは全く予想できません。
ただこんな僕でも本当に今は前向きに頑張れる様にもなりましたし今は家族の為に楽しく頑張っております。
正社員をバックレた後どうなったか?
会社からは1日1〜2回位の着信はいりましたが電話にです放置していました。
途中から着信拒否もしていた為に厳密には何回とかはわかりませんが後で同僚に聞いたら電話はあんまりしてなかったと聞きました。
身元保証人が入社時に必要だった為に給料も、問題なくいただきました。
仕事も次の所は1ヶ月位のには見つけましたので失業保険は全く意味がありせんでした。
ただやはり後で父親に聞いた事ではありますが何回か会社に出向いて行ってもらえて寮の荷物もいろいろと調べてたそうでした。
仲の良かった同僚にもいろいろと話を聞いて内容が少しずつわかってきた事で事件とかではなく自分勝手に逃げ出した事で解釈と父親の同意の共に刑事事件等にもせずに解雇と言う形で幕が閉まったそうです。
体験談10 大きな営業の案件を頑張って成約したのにすべてサボっていた役員の息子の先輩の成果にされ、堪忍袋の尾が切れてバックレた例
会社の職種 | 保険業 |
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給与 | 月収25万円 |
年齢/性別 | 30代男性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 2ヵ月 |
正社員をバックレるに至った理由
私はその会社に中途入社で入りました。
それまで働いていた会社が割とブラック企業でしたので、その会社はごくごく普通、至ってノーマルで健康的な会社であると信じて入社したのです。
実際、面接の時はパワハラ、異常な残業などは一切ないと説明を受けており、その言葉に期待をして入社したのです。
けれども実際に入社してみるとそんな言葉はまるで嘘ということがすぐに分かりました。
配属された部署の部長はまるで歩くパワハラです。
朝に言った事が夕方どころかお昼にはまるで180度も変わってしまっています。
しかも朝に受けた指示に従って仕事をしていた私を叱責するのです。
その怒り方も半端じゃありません。
事務所で大きな声を上げて怒鳴ります。
しかも私の人格を否定するようなことまで多くの社員がいる前で言って叱責するのです。
最初は部長が自分が言った事を忘れて勘違いしているのか?と思っていましたが、さすがに同じような事が毎日続いてくるとこれはまともではないという事に気付きます。
けれども異常なのはそれだけではありません。
そんな部長の異常ぶりに他の社員は霹靂とするどころか迎合するのです。
部長が私の事を叱責し始めると他の社員まで合いの手を打つように私の事を一緒に叱責し出します。
一度、先輩の社員に部長の指示がすぐに変わることについてどう思うのか聞いて見ました所、そんな事に疑問を持っていたらこの会社ではやっていけないと言われました。
また、残業はないと聞いていたのも全くの嘘だったのです。
毎日営業などで会社に帰ってくるとその日の報告会が定時以降から始まります。
その日、これと言った営業成績がなかった場合、これからどうやって数字を稼ぐつもりなのか事細かに説明を求められました。
その様子はまるで吊るし上げ状態です。
そして今日以上の数字を明日は上げられるようになると他の社員全員の前で宣言させられます。
私はそんな異常な生活を2ヶ月送りましたが、これはとてもやっていけないと思い、バックレることを考え始めたのです。
正社員をバックレた時の話
私が転職した会社もやはりブラック企業だったのです。
けれども転職をしたばかりなので、すぐにバックレることもどうかという気持ちが私にはありました。
だからバックれたいと思いながらも今日一日は頑張ろうと思い、ずるずるとその会社で働き続けていました。
けれど、とうとう私の堪忍袋の尾が切れる時が来てしまいました。
私はその時、部内の先輩と2人でとある大きな営業の案件を担当していました。
その案件が無事成約すれば、その年の部全体のノルマは一気に達成出来てしまうほどの案件です。
私は張り切ってその案件に取り組んでいました。
けれども、一緒にペアを組んでいた先輩は一向にやる気を見せてくれません。
クライアントに提出する資料や見積もりは全て私にやらせようとするのです。
時にはクライアントとのアポイントも先輩は同行せず、自分はどこかでサボり、全ては私1人にやらせていました。
それでも私はその案件が成約すれば自分のモチベーションにもなると思い頑張って取り組んでいました。
そんな努力の効果もあり、その案件は見事に成約したのです。
私は部長にもそして役員にも褒められ、そして給料も上がってくれることと思いました。
けれどもその結果は思わぬ方向に進んだのです。
なんとその案件はサボりにサボっていた先輩の成果になってしまいました。
しかも私はその案件には最初から何も携わっていないことにすらなっていたのです。
そんな理不尽なことがあって良いのでしょうか?
けれどもその理由はすぐに分かりました。
サボりにサボって何もしていなかった先輩は実は役員の息子だったようです。
私はその事を初めて知りました。
周りの同僚などはその理不尽さを知りながら何も声を上げてくれません。
この出来事は私にこれ以上、この会社で仕事を続けていくことのモチベーションを全て壊してくれました。
そのエピソードがあり、私は会社をバックレることにしたのです。
正社員をバックレた後どうなったか?
バックレると決めた次の日から私は会社に行く事をやめました。
出社を拒否した朝その日から自宅に電話がかかってきました。
とにかく会社からの電話には私は絶対に出ませんでした。
会社からの電話は朝、昼、夜のタイミングで1日に4回くらいはかかってきましたね。
その度に私は電話を無視し続けたのです。
私は精神科に通いうつ病の診断書を出してもらいました。
その診断を元に会社に辞表を出したのです。
当初は会社から話し合おうという連絡がありましたが、いくら話し合っても根本的な問題は解決されるはずがありません。
私は会社を訴えるつもりはありませんでした。
代わりに円滑な退職を要求したのです。
そのために私は弁護士に退職手続きを代行してもらうように依頼しました。
やはり弁護士の先生に依頼するのはかなり効果があります。
退職にあたり、未払い給料は払ってもらえました。
もちろん短期間でしたので退職金はありませんでしたけれども。
そして次の就職に必要な離職票はきちんともらうことが出来ました。
一応、自己都合退職の形でしたので失業保険はすぐにはもらうことは出来ませんでした。
幸い、次の就職はスムーズに行きましたので、結果的に失業保険は受給しませんでした。
源泉徴収票も弁護士の先生を通してきちんと受け取ることが出来ました。
勤めていた会社をバックレるとその後の手続きが何かと大変なものですが、弁護士の先生を通すと後処理は割とスムーズに行きます。
会社をこれからバックレようと考えている人は是非、参考にしてみて下さいね。
体験談11 自分に非がないのに客に謝りに行かなければならない状況が許せず、バックレた例
会社の職種 | WEB制作会社 |
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給与 | 月収22万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 3か月 |
正社員をバックレるに至った理由
まず初めに採用面談中の事ですが、他の面談者と日程が被っていた事を当日の面談時間数分前に連絡が来て、それから1時間以上、会社の近くで待たされたり、採用面談が終わった後の事で、「後日2〜3営業以内に連絡する」と言われて1週間連絡が無く、その後位に急に連絡が来て、「明後日来て」と言われたりしました。
それでも自分は就活で長引いていいたので入社しました。
求人や面談では未経験でも入社出来ると言われて入社しましたが、入社当日に担当者が遅刻して入社当日から2時間以上待たされたり散々な入社日でした。
さらに入社日にいきなり先輩の案件と上司の案件の依頼があるからと言われて、いきなりお客様の所へ連れていかれました。
入社して入社当初から担当者がバタバタしたり、先輩が辞めて行ったりと指導が全くなく、人でも少ない状況でまともに教えれる状況では無かった事がありました。
さらに入社後1か月後にはまだ知識も全然無いのに一人でお客様の所へ行かされて、ディレクションを行うこともありました。
なんとかその時はお客様もいい人で臨機応変に対応出来ましたが、その後その対応に上司が機嫌よくしたのか、さらに別の案件を丸投げされて、月に10件以上県外を飛び回って、いろんな方のお話を聞いて回りました。
移動も休みの日を削ったり、睡眠時間を削って夜中に移動したりと、休みが取れない事もしばしばありました。
先輩には「オールする事もある」と言われて、さすがに精神的に苦痛になりバックレました。
正社員をバックレた時の話
バックレた日は、トラブル対応の為に上司と2人で対応に向かう日でした。
当日の案件は、お客様がおじいちゃんで、私の対応に不満があるとして、解約の手続きをしたいというものでした。
しかし私の制作スケジュールは順調でお客様の勝手な理由によるものを、私の対応のせいにして解約をしようとする事で上司とお客様の間で話し合いが行われて相談した際に一旦お客様と話す機会が設けられた日でした。
私は前日県外へ出張していて往復8時間の長旅を終えた後、直行直帰しようと上司に相談した所会社に一度呼び戻されて、一時はなんでこの日は返してくれないのかと疑問にもちました。
会社に着いて上司から事のトラブル内容を聞かされて、まず上司と言い合いになりました。
自分に全く非が無いのに上司からは怒鳴られて「どうなっているんだ」と言われ、自分も出張で疲れている中で状況も初めて聞かされたので理解出来ずにいました。
上司からの内容を聞いて、自分に非が無い事は認めてもらえましたが、「明日とりあえず謝りに行くぞ」と言われて、その時は自分も疲れていたので、話を済ませて早く帰りたかったので「はい」と答えました。
しかし帰った後その事をずっと考えていると、「なぜ自分は何もしていないのに謝らなくちゃいけないんだ」と思い始めて、当日にはその感情が爆発して、上司に言われた時間と場所に行かず、電話も切り、一切の連絡手段を断ち切って、完全にバックレてやりました。
正社員をバックレた後どうなったか?
バックレた当日はずっと携帯の電源は切ったままで、次の日携帯を付けてみると、上司からは電話が4回ほど、ラインが4件、先輩と後輩からは電話が2件、ラインが2件とかかってきていました。
さらに自分と連絡がつかないとして、緊急連絡先の親に連絡がいっていたので、親からも電話が2件ほどかかってきていました。
上司が連絡がつかないと連絡して自分が事故か何かに巻き込まれたのではないかと親に伝えたのが原因で大ごとになっていました。
バックレた後は退職勧告を頂いて自主退職を出して辞めました。
給料は通常通り貰えました。
離職票も後日郵送で送られてきました。
失業保険も申請したらもらえました。
源泉徴収票は給料明細に同封されていました。
体験談12 新入社員がきたらお局様が駐車場を占領して車通勤なのに車を停めれなくする嫌がらせをする謎の会社に入ってしまい、バックレた例
会社の職種 | 事務員 |
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給与 | 月収13万円ボーナス2万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 6ヶ月 |
正社員をバックレるに至った理由
私がバックレた会社、それは下請けの子会社でした。
埼玉県のある有名な工場なのですが、チューブのアイスなどのその容器を作る工場でした。
そしてその容器を各地にトラックで配送していくのですが、その工場の1角に間借りをして、「出向」という形で私たちトラック会社が入っていたのです。
ですから、その親会社の人たちとは常に隣り合わせで、肩身の狭い思いをしていました。
しかもその親会社のお局様がとても意地の悪い人でした。
私が入社する前にも、もう何人もその人のせいで辞めているという形でした。
私たち子会社の上司の人たちは親会社の人たちにいやがらせを受けても何も言えず、ただひたすら私たちも我慢するだけだったのです。
私はその会社に車通勤という形で入社をしたはずなのですが、ある日通勤をして車を止めようとしたところ、駐車場がありませんでした。
困り果て会社に通報すると、「近所のコンビニに止めてくれ」という返事でした。
仕方がないのでそのようにして会社に顔を出すと、実は徒歩通勤である、家が近いその局が車通勤できてしまったために、私のマイカーを停めるところがなかったらしいのです。
これにはびっくりして、誰かその局に注意をしてくれないかと頼んだところ恐ろしさのあまり誰も注意ができないとのことなのです。
この局はこれだけではなく、他にもわかりやすい嫌がらせをしているため、これ以上付き合いきれなくなった私は、この会社をバックレる流れとなりました。
しかもボーナスがあってないようなものなので、正社員でも惜しくはありませんでした。
正社員をバックレた時の話
マイカー通勤ということで入社したにもかかわらず、局のせいでコンビニに止めさせられるということが何度も続いたので、そのままバックレました。
もしもコンビニに止めていて、レッカー移動なんてされてしまっては、たまったもんではありません。
道路交通法の罰金など、会社側が持ってくれるとは到底思えませんからね。
そんなにリスキーな会社は一刻も早くやめなければいけないと思いました。
ふざけていますよね?!
実はこのブラックな会社を労基に相談をしたのですが、労基側はやめてしまってから訴えたのでは遅く、働いている期間中に労基側に話をしなければ動けないとの返答でした。
しかし、実際に働き手は会社に籍を置いている時に、労基に訴えるというリスクはほとんどしないと思います。
やめて関係がなくなってから、訴えたいという人がほとんどではないのでしょうか?
この日本の労働基準の矛盾に疑問を抱きながら悔しいながら退社しました。
そして、その後、必要書類やきちんと働いた分のお給料をもしももらえなかったら今度こそ労基が動くので訴えてくださいとの話でした。
そのため私は、自分のタイムカードをコピーしたりして、きちんと証拠を集めたりしていました。
それでも味方になってくれたパートのおばちゃんなど、相談にのってくれました。
やるせない私にとって、それだけが心の救いでした。
その後、他の人が就職をしてもやはり皆さん辞めていかれるようです。
ちなみにそのババアは、知っていて車で来るそうです。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話はほんの数回しかかかってきませんでした。
しつこくかかってくるかなと思いましたが、向こうも同じようなことが何度もあったようなのでいつものような感じでなれていたのでは?ないかと思います。
給料はちゃんともらえました。
もらえなかったら労基に駆け込もうと思っていました。
そこは今時手渡しだったので、もらいに行くのは嫌でしたがきちんと働いた分はもらいましたよ。
離職票は郵送で送ってもらえました。
子会社とはいえ本部は一応都内にあったらしく、そこの事務員がきちんと送ってくれたようです。
失業保険はこちら側の都合ということでもらえませんでした。
会社都合ならもらえたようです。
源泉徴収票は数ヵ月後その時期にもらえました。
体験談13 努力が報われず、うつ気味になり、死にたいと思いながら家出してそのままバックレた例
会社の職種 | 製造業 |
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給与 | 月収17万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 8年半 |
正社員をバックレるに至った理由
当初は入社3年で辞めるつもりだったが、実家の引っ越しに伴い一人暮らしをすることになりました。
学生時代にバイト経験等もなく、その時点での貯金でアパートを借りるのは難しかった。
仕方なく単身寮に入り、だらだら続けていました。
年数がたつにつれ、退職や移動などで扱っている古い機械を担当で扱えるのが自分だけになりました。
フリーという作業があり、全体を見回り、終了予定など計算するものでした。
通常はその機会系列の社員が2人でやるものなのですが、検査などできる人を配置するとそこに割り当てられる人員は社員が1人、使えない派遣が残るだけでした。
当時新入社員とまだ移動してきたフリーを一切やっていない4年目くらいの子しか班にいなくて、自分以外にフリーをできる人がいなかったんです。
それなのに、フリーが2人つけれるはずなのに、報告が遅いなど上司かっらは嫌味を言われていました。
こんなに大変な思いをしているのに給料は毎日2時間以上残業をして手取りで16万くらい。
辞めたい気持ちばかりが増していきます。
移動で4年先輩がきましたが、全く仕事のできない人でした。
実質班を回しているのは自分だ、自分がいなければまわらないと思っていました。
扱っている機械が古かったので、新しいものに交換する時期になり、班替えも行われました。
それに伴い辞令もでました。
新しい班長には自分がなると思っていたのに、2班合同になり、使えない先輩2人のダブルリーダーという形になったのです。
結局は年功序列であがっていくだけ。
気持ちの糸がきれました。
正社員をバックレた時の話
有休を取って、車で大阪まで一人旅をしていました。
リフレッシュのつもりだったのですが、帰るのが嫌になりパーキングで一晩過ごしました。
それまで頑張ってきたプライドが折れて、死にたいと考えるようになっていました。
結果的に1か月家出をしました。
初めは車で無料駐車場を探し寝泊まりしていました。
色んな死に方を考えました。
どうすれば楽に死ねるのか。
食べずにすごしてみたりしましたが、実際死ぬのは簡単ではないです。
本気で死にたいわけでもなかったんだと。
昼間はやることがないのでパチンコ屋で漫画を読んでみたり、これまでの事を振り返って書き物をしてみたり、お金があるうちはお店に入って考え事をしたり。
行くところも浮かばないので、実家や祖母宅の周辺をうろうろしていました。
ある日、パトカーに止められ、警察署に保護され実家に帰りました。
職場に謝罪に行き、カウンセラーと面談してうつと判断され、休職することになりました。
定期的に連絡はきたのですが、健康診断の連絡に出ず、親に自分の気持ちを分かってもらえないこともあり、再度家出をしてしまいました。
川などで寝泊まりしていましたが、やることがなくなってくると疲れてきて、実家に戻りました。
早朝は犬の散歩やジョギングなどの人が多く、不審がられました。
簡易テントのようになっている所があったので、そこを使って椅子の上で寝ていました。
2度目の家出の時に親が会社の退職手続きを進めていました。
正社員をバックレた後どうなったか?
優等生的扱いだったため、まわりには無断欠勤が相当驚かれました。
携帯電話の電源を入れたときに、定期的に職場からの着信が入っていました。数日はかかってきていました。
退職手続きは親が謝罪と一緒にやっていたため、書類は全て実家に郵送されてきました。
自分が職場に出向いて何かすることはなかったです。
1度目の時に上司との面談はありました。
後輩とは何回か会いましたが、1年位したら連絡することもなくなりました。
失業保険をもらって、新しい家に引っ越して、全く違う業種に就きました。
転職が当たり前の世界なので、何度か転職しました。
新しい仕事を探す勇気がもっと早くあったらこんなめんどくさいことにはなっていなかっただろうと思います。
体験談14 社長にセクハラされて2人きりの勤務になるよう仕向けられ、バックレるしかなくなってバックレた例
会社の職種 | 建築業 |
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給与 | 月収18万円、年収250万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 6ヶ月 |
正社員をバックレるに至った理由
社長のセクハラが始まったのは私が入社して2〜3ヶ月目の頃でした。
何度も食事に誘われていましたがずっとお断りをしていました。
ところがある時、どうしても行かざるをえない条件を出され、渋々OKしました。
料亭のようなきちんとしたところに連れて行かれ、食事をした後、直接数万円を差し出し「Hをさせてください」と頭を下げられました。
私はパニックになりました。
まだ若かった私は事態がうまく飲み込めず、とりあえずそんな気持ちの悪いお札を受け取るわけにはいかないので、お断りをして急いでお店を出ました。
その日から社長のセクハラはエスカレートしていきました。
直接体を触ったりということは無いのですが、事務所内でやたらと私と二人きりになる時間を作ろうとあれやこれやと策を練っていました。
ある時には、私が残業をし二人きりになってしまい、仕事が終わって帰ろうとした時に、事務所の扉のところを塞いで「帰しません」と言われ、恐怖を感じた私はなんとかその扉から出ようと押し問答になりました。
腕を掴まれたり、本当に恐怖を覚えたのですが、やっとの事で外に出してくれた社長は、私の背中に向かって「家の住所も知ってるから家に行く事もできるんだよ」と恐ろしい事を言ってきました。
それからは、家にいても落ち着かない日々が続きました。
ある日、大家さんから「あなたの車に年配のおじさんが乗ってごそごそしていたけど、知り合い?」と気にかけて教えてくれました。
車をごそごそとするような知り合いはいません。
おそらく社長だろうと思うと、もう怖くて怖くてたまらなくなりました。
私はそれらの事態にとても耐えられず、先輩男性社員の方に相談をしました。
するとその先輩は自分の彼女さんと一緒になっていろいろと力になってくれました。
打ち合わせの時間をできるだけ調整して、事務所に私と社長の二人だけが残る事がないように配慮してくれたりしました。
とても心強かったのですが、その対策に痺れをきらした社長はとんでもないことを言い出しました。
それまでは土日休みの完全週休二日制だったのですが、「土曜日を出勤日にしよう。でも全員で出てくる必要はないから一人ずつ順番で出てくる事にしよう」などと言い出したのです。
そうすると、土曜日に丸一日私と社長が二人きりの時間が出来てしまいます。
これを聞いて先輩社員さんと彼女さんの3人で緊急ミーティングを行いましたが、出てきた結論は「もう無理だよ。辞めるしかないよ」という答えでした。
私も社長の横暴と恐怖に耐えられず、泣く泣く辞めることを決意しました。
正社員をバックレた時の話
会社を辞める時に、なんで悪い事してない私が辞めなくちゃいけなくて、悪い事した社長が居続けられるの、という理不尽に腹が立って、社長の本棚の中に、『法律の抜け道』のような書籍があったので、なにか絶対に卑怯な事をしていると思い、いろいろと労基法を調べて労働基準監督所にも匿名で電話をかけ、残業代なんかのことを教えてもらい、明らかに違法な事をしていて、過去に遡って5年間分の残業代を辞めた人の分まで支払わなければいけない、という事を知りました。
私だけでなく私が入る以前に勤めていた女子社員の方の残業代まで支払わなくてはならないという事実を確認しました。
事例があまりにも具体的だったせいか、労働基準監督署の方も、「会社名を教えてもらえればあなたは匿名のまま調査に入ることはできますが、どうしますか?」と言ってくださったのですが、それは丁寧にお断りし、直接社長本人に、「こういう事実を労働基準監督署で確認しました。訴える事もできますし、労働基準監督署の方はすぐにでも調査に入りますよ、と言ってます。どうか存分に法律の抜け道でも探してください」と捨て台詞を吐いて、会社を後にしました。
兄に会社を辞めることを告げると、「もっと頑張って続けろ」と言われましたが、私が「だって社長にセクハラされてるんだもん」というと怒った兄は、「すぐ辞めろ。お前はもう会社に行かなくていい。あとは俺が話をつける」と言って、私はそれっきり会社に行っていません。兄が社長にいろいろと詰め寄り、私が会社に行って社長と顔を合わせないで済む様に退社の手続きなんかも兄がしてくれたようでした。
兄から事態を聞いた両親も駆けつけ、家族総出で社長に詰め寄ったと聞いています。
会社をバックレた後、あまりの恐怖からの安堵で自分の中で感情の均衡が保てなくなり、うつ病になりました。
まだ、社長が家に来るかもしれない、という恐怖は残っていましたが、引越しをするパワーもなく、数ヶ月家に引きこもり、その間の記憶はあまりありませんでした。
自分が引きこもっている事もきちんと認識はできていなかったと思います。
こんな事じゃいけない、と思い立って心療内科を受診しました。
案の定『うつ病』と診断され、それから心療内科へ通院する日々が続きました。
労働基準監督署に訴える件はとても悩みました。
訴えてやりたい気持ちが満載でしたが、うつ病のためその気力がないのも確かでした。
私がどう動くのか、いつ訴えるのか、本当に訴えるのか、どういう手段に出るかわからず悶々としている社長を想像すると、「ずっとビクビクしとけ、ばーか」という少し爽快な気持ちになる事もありました。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話は3回ほどかかってきました。
いずれも出てはいませんが、留守電に謝罪の言葉と「頼むから戻ってきてください」というようなことを言われていました。
その後、求人を出して新しい人が入ったという連絡を先輩社員の方から聞き安心していましたが、この人があまり使えなかった人らしく、その後にもう一度社長から、「君ほど優秀な人はいなかったことが良く分かった。もう絶対おかしなことはしないから、頼むから戻ってきてください」という留守電が入っていましたが、もちろんスルーしました。
お給料もきちんと払われました。
離職票も失業保険も源泉徴収票も、そういった事務関係の書類はすべてきちんと貰えました。
考えて見れば、両親と兄が乗り込んだことと、私が労基法を持ち出した事が相当堪えていたらしく、だいぶしおらしくなっていたようでした。
体験談15 毎日0時過ぎまで残業で休みもないのに給料16万でやってられないと思い、タバコ休憩中の思い付きでバックレた例
会社の職種 | ブライダル業界 |
---|---|
給与 | 月収16万円 |
年齢/性別 | 20代男性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 3か月 |
正社員をバックレるに至った理由
まずは勤務時間です。
定休日は火曜日でその他は基本的に出勤です。
出勤時間は朝10時。
退勤時間は日によって異なりますが何もなければ20時過ぎ(館の営業時間が20時までの為)に帰りますが、基本的に「何もない」という事がないのでその時間に上がれたことは3か月働いて2回くらいしかありません。
それ以外は0時を回ります。
原因は人員不足です。
働いていた当時は正社員は7名。
私が所属していたサービス班(挙式の運営担当部署)は社員が2名、他はアルバイトと派遣で回していました。
アルバイトと派遣は週末の挙式時にしか出勤しないので平日は基本的に2人です。
式場見学のお客様が来ればプランナーと私たち2名で会場を案内します。
他には安い給料。
前述したように勤務時間は朝10時から深夜0時くらいまで。(ちなみに1番遅い時間で深夜2時という時がありました)
それなのに明細を見ると残業代が支払われている形跡がないということ。
むしろタイムカードのような勤務時間を管理するものもありませんでした。
後に私は残業代を請求するために弁護士と相談しますがタイムカードがなく勤務時間の立証が難しいと言われました。
おそらく会社側が意図的に行っていたのだと思います。
無意味な長時間勤務。
安い給料。
この2つが大きな理由と言えます。
この会社への文句を挙げればきりがありません。
今思えば、福利厚生や人員、働く環境など有り得ないものだったと感じます。
当時はやっと見つかった仕事で、しかも結婚式場という人の幸せの場所に立ち会える素敵な仕事と思い期待に胸を膨らませ出勤しましたが初日からまさかの15時間労働。
所属するサービス班の上司は私の入社の事実すら把握していませんでした。
今思えばこの瞬間にバックレてもよかったなと(笑)
正社員をバックレた時の話
入社して3か月が経ち、挙式の運営や日々の業務などある程度は出来るようになっていました。
しかし相変わらず改善されない勤務時間、安い給料に嫌気がさしていました。
結婚式場なので例え平日でも会場見学を希望するお客様は来場されます。
しかし近隣にも結婚式場は多くお客様をいかに獲得するかが会社の大きな使命となっています。
なので基本的に来場したお客様からは他の式場を見学する前に契約を頂きたいのが本音です。
他と比べられては劣る部分が少なからずありますし・・・。
なので来場したお客様を契約に至らせるために何時間も拘束していました。
お客様が帰りたいと言っても「料理の試食を準備中なので」とか「お値段の件を上に確認しますので」とか言って何時間も。
館の営業時間が過ぎ、日付が変わるまでお客様を帰さなかった事もあります。
そんな日々が続き、私のバックレ当日。
「この日のバックレよう」と決めていた訳ではありません。
朝に出勤し、週末の挙式に向けて引き出物や会場の準備をしていました。
私には決まった休憩時間はなく手が空いた時に一服するという感じでした。
その日に出勤していたのは私ともう1人。
もう1人も週末の式に向けて音響や派遣の手配などの業務をしていました。
用があればインカムで呼ぶという感じです。
何気なく一服しに休憩室へ行ってタバコを吸っていて日々の仕事の事を考えていました。
そして頭に浮かんだのが「やめちまおう」でした。
当時は家族も彼女もいなく、正直仕事を辞めても困るのは自分だけでした。
自分が困ると言っても過酷な労働環境です。
「自分を守れるのは自分だけ」
一緒に働いていた先輩たちは皆そういって辞めていきました。
「うん、帰ろう」と決め休憩室で1人着替え、帰る準備をしました。
あとの事なんて考えていませんでした。
そして車へ乗り込み、おそらく事務所で作業している同じサービス班の人にメールを1通。
「やめます。世話になりました」とだけ。
そのまま車を動かし、とりあえずパチンコを打ちに行きました。
多少の罪悪感はありましたが、気持ちを切り替えて次の日から転職活動を始めました。
正社員をバックレた後どうなったか?
バックレてから数時間後、帰る直前にメールを送った先輩から「どうしたの?一緒に頑張ろうよ」とメールがきました。
それに対して「あんなところで、もう働きたくないです」とだけ返信しその後の電話やメールは全て無視しました。
先輩からだけではなく、上司からも電話が来ましたが、出ていません。
数日たって館の支配人が私のいない時に家に訪ねてきたようでした。
ポストに「話しがしたいから連絡をするように」とメモ書きが残っていました。
連絡してもろくなことにならないと思った私はそれも全て無視。
辞めてから1か月後くらいに、「連絡が取れず出勤の意思が確認できないため退職処分とする」という書類が届きました。
入社して3か月目に辞めていた私は、雇用保険などに加入する直前だったらしく、離職票や失業保険の給付などについての書類は一切見ませんでした。
給料はおそらく辞めた日までの分だろうと思わしき金額で入金されていました。
その3年後、私も結婚をし挙式会場を見学に行きました。
もちろん自分がバックれた式場に行くつもりは全くありませんでしたが(笑)
別な式場のプランナーさんから「あの式場は潰れたみたいです。夜逃げみたいな感じだったらしいです」と。
ネットで検索してみると私が勤めていた式場で挙式の予約をしたがある日を境に連絡が取れなくなった。お金も返ってこない。と言っている方がいたので、おそらく本当に夜逃げしたんだと思います。
体験談16 会社の強引なテレアポのやり方に不信感が募り、仕事に行くのが憂鬱になってきてバックレてた例
会社の職種 | テレアポ |
---|---|
給与 | 月収250,000+歩合 |
年齢/性別 | 20代男性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 半年 |
正社員をバックレるに至った理由
当時、タウンワークにデカデカと求人が出ており、新人多数活躍中、高額給与支給などの文言につられて面接を受けに行くと、正社員で即採用となりました。
勤務先は横浜駅の北口の雑居ビルの5階で、最初見たときは怪しいなと感じていました。
そこで、2週間程度、テレアポの研修を受け、扱う商材の研修を受け、恐る恐る実務についたのですが、当初は面白いように売れてくれて隣席の人とも楽しく和気あいあいとやっていました。
が、やはりいつまでもうまく売れているわけではなく、業務そのものに行き詰ってしまうもので、スーパーバイザーからの叱責や見かけ上は設定されていないはずのノルマのようなものにプレッシャーを感じ、かつ売っているものに対しての疑問を強く感じてしまい、疑心暗鬼になってしまいました。
本当にこんなものを口八丁で売っていいのか。と。
業務については、朝出社して、事績につき、渡されるリストを基に電話をかけセールスを口頭で行います。
いざ契約となると、スーパーバイザーに変わってもらいクロージングをするのですが、その際にやはり契約をやめたいというお客様もいて、そういったお客様に対してのスーパーバイザーの高圧的な態度を見て、だんだんと不信感が募っていきました。
そういった相談をたまたま経理の女性社員と話せる機会があり、いろいろな不安を払拭して頂きました。
しかし、それからもプレッシャーを感じ続け、体調も崩し、休みがちになってしまいました。
正社員をバックレた時の話
ある日、突然朝駅のホームで行くのをやめようと思い、そのまま家に帰りました。
一切連絡もせずに休んだので無断欠勤にあたるんだと思います。
その日の午後、事務所の電話番号から連絡がありましたが出ることが出来ませんでした。
翌日は土曜日だったため、休み。翌々日も日曜日なので休み。
その日曜日の夜が本当に本当に憂鬱でした。
あけた月曜日、私は駅までは向かいました。
が、やはり電車には乗らず、帰りました。
朝、始業時間が過ぎたころから、数回着信がありました。
もう気まずくて電話を見ることすら嫌でした。
電源を切ってしまおうとも思ったのですが、そんな勇気もなく、マナーモードの携帯電話がポケットでぶるぶると震えるだけの時間が続きました。
お昼前、他の用事で携帯電話を触っていると、着信があり、うっかり出てしまいました。
とっさに具合悪いふりをして、高熱が下がらず寝てたことを伝えました。
相手はいつも叱責してくるスーパーバイザーの方で、どこか勘繰る雰囲気も感じましたが、基本的には優しい会話に終始していました。
毎日の連絡をちゃんとするように!ときつく言われました。
心配するからとも言われました。
しかし翌日の火曜日、私は無断で会社を欠勤しました。
今考えると、病気だったのかもしれないと思っていますが、当時の私はそんなことを考える余裕すらありませんでした。
お昼を過ぎたころに、いつもとは違う番号で着信があり、恐る恐る出てみると経理の方からの電話でした。
そこで、今の自分の状態を正直に話すと、最寄りの駅まで来てくれて、喫茶店でさらにお話をすることになりました。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話は、毎日、始業時刻を過ぎるころから、3日間続きました。
給与はちゃんと頂くことが出来ました。
離職票は頂くことが出来ました。
もちろん自己都合の退職です。
失業保険については、雇用保険被保険者票を頂きました。
源泉徴収票についても在籍時の内容を反映したものをきちんと頂くことが出来ました。
経理の方が、とてもやさしい方で会社を休み始めてからお会いした際に、郵送での退職を進めてくれました。
かならずこの方が間に立って下さったので、他の社員の方とは一切会うこともやり取りすることもありませんでした。
大変失礼な退職の仕方であることは重々承知しているのですが、当時の私にはもう余裕がありませんでした。
経理の方も、このまま続けると心にも体にもよくないよと背中を押してくれました。
その翌年、その会社自体がなくなったと経理の方から直接聞きました。
体験談17 辞めたいと何度言っても辞めさえ手もらえず、父が死んだときも出勤しろと言われ休んだら常識ないと言われさすがにバックレた例
会社の職種 | 病院にて看護助手 |
---|---|
給与 | 月収18万 年収約250万 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 4年 |
正社員をバックレるに至った理由
とにかくブラック企業で、体調不良で吐血した時も休ませてもらえず。
結果入院したり等体の限界もあった。
辞めさせてほしいと何度も看護師長に直訴するも聞き入れて貰えず、様々な理由をつけて辞めさせてもらえなかった。
18歳で初めて就職した職場とのこともありズルズル働いていた。
そんなある日父が亡くなり、流石に休ませてもらえるだろうと職場に電話、看護師長に報告するも「自分の父親と患者様どっちが大切なの?患者でしょ?わかったら出勤しに来なさい」と心底絶望する事を言われ、そのまま電話を切られた。
もちろん言った事は言ったし出勤せず。
3日間お休みする事を決意。
お休み2日目にもう一度看護師長に電話、出勤できなかった事を謝り明後日より出勤することを伝えるも、特に怒った様子もなく「はい、わかりました」の一言。
三日ぶりの出勤で、いつも通り病棟に出勤すると出勤者ボードに私の名前がない。
何も知らされず、全く何も知らない病棟に移動との事。
普通は1か月前までに通達が来るのですが、当日に知らされた。
新たな病棟の看護師長にもご挨拶するも「お葬式とかで勝手に休んだんでしょ?そう言うの困る。社会人としての常識がないのか」等々説教。
もちろん新しい病棟のナースや看護補助者などのスタッフが居ているナースステーション内で。
もう、心の崩壊が聞こえました。
以前から辞めたいと思っていたことも看護師長にお伝えするも「若いのに何を言ってんの?」と突き返され。
辞めます!と言ってそのまま帰れるような心の持ち主なら良いんですが、小心者なのでその日は新しい病棟で1日働き、そのままバックレました。
正社員をバックレた時の話
ロッカールームの掃除も済まし、白衣はクリーニングボックスと言う病院専用のボックスに入れてロッカールームの掃除も済まし、辞める気満々で帰りました。
小心者なので、仕事中に帰る事も出来ずでした。
その日に看護師長より役職が上の看護部長にも辞めたい旨を伝えていたが笑って誤魔化された。
辞表を持って行ってもどうせ突き返されるのが見えていた為バックレを決行しました。
今まで他のスタッフもバックレしてきたのも見てきていたので。
辞めた後のことも仕事中考えていたが、それより自分の体と心が心配だったので。
仕事を辞めた時はすでに4年以上働いており夜勤も月6回あり、尚且つ看護補助者のリーダーをしていた為、責任感も感じましたが・・。
職場に人がおらず国が定めている、スタッフの数が明らかに足りていなかった。
給料も安く、人間関係も最悪。
看護補助者のリーダーが看護補助者の中で一番偉いと言うことでは無く、やはり女性の職場に付き物のお局さんが病棟を牛耳っていました。
看護師長も、このお局さんには弱くお局さんが「家に今日ガス屋さんが来るから休ませて」と言ってきたら即お休みOKですが、私がマンションの消防点検で、前もって「○月○日お休みいただいてもいいですか、消防点検でマンションに来られるので」と、言うも師長は「家族にきってもらえばいいのでは?」と。
私の家族が他府県で一人暮らしなのも知っているはずなのに。
色々積み重なった結果のバックレです。
正社員をバックレた後どうなったか?
電話の嵐でした。
留守電にも、落ち着いた口調で「早く来てください。なにしてるんですか」等言って来られました。
夜勤勤務当日にバックレたので職場には大変迷惑をかけたことだと思いますが私は何度も上司に伝えたので罪悪感もありません。
着信拒否すると、違う番号から掛かってきたりと怖かったです。
毎日電話がやむことはなかったです。
給料は、確認すると入っていました。
給料明細が郵便で送られてきましたのですが離職票、失業保険、離職票、源泉徴収は入っていませんでした。
バックレてからが一番大変でした。
毎日暇なのかと思うくらいの電話、留守電。
職場の人からも電話があったりと。
最終留守電に、給料をあげる予定だ、とか入ってました。
怖くなり、退職届を速達で送り、離職票、失業保険、源泉徴収を送ってもらうよう書き、送りやっと送ってきてくれました。
手紙には、もう一度電話でいいので話し合いませんか?とありましたが郵便物も拒否し、現在は音沙汰もありません。
体験談18 入社してからずっと社長のセクハラ・パワハラに遭い続け、休日も無駄話のために電話してきて、ストレスから膀胱炎や多汗症になりバックレた例
会社の職種 | 賃貸住宅管理会社の事務 |
---|---|
給与 | 月収150万円 |
年齢/性別 | 20代女性 |
その会社をバックレるまでに働いた期間 | 3か月 |
正社員をバックレるに至った理由
社長からの過度なセクハラ・パワハラが原因です。
新卒採用で入社時から、毎晩のように1時間以上の長電話。
仕事中もパソコン画面から顔をのぞかせニヤニヤとこちらを眺めてきたり、頭をなでられたり、休日には社長の車を運転しショッピングに付き合わされたりもしました。
一般事務で入社したはずでしたが、朝はモーニングコールに始まり、社長のスケジュールをチェックし時間が来る前に電話連絡をしなければなりませんでした。
昼前には社長の昼食の手配、社長が事務所へ来たら一番にコーヒーを入れなければなりません。
私だけ、今からやる業務を社長に逐一報告しなければなりませんでした。
常に事務所設置のカメラで私の行動をチェックされており、何かあればすぐ電話がかかってくる。
本来の仕事が全くできなかった3カ月でした。
更に、報告やスケジュール連絡を怠ってしまった時は、社員全員にお詫びのメールを送り、事務所に設置されているカメラの前に立って大きな声でお詫びをしなければならず、それはとても恥ずかしく、辛かったです。
私が社長のお気に入りだったのか、入社したばかりの私と他の社員との扱いの格差が原因で私は完全孤立していましたし、誰も私に話しかけてくれる人はいませんでした。
家にいても電話やメールで長時間拘束され、私の名前も勝手に呼び捨てにされてプライベートも何もありませんでした。
何のために会社に行っているのか分からなくなり、ストレスから膀胱炎や多汗症になり、足からは悪臭がするほどでした。
正社員をバックレた時の話
ゴールデンウィークだったかと思いますが、町内で大きな花火大会があり、家族や親戚がみんな集まる中、社長から何度も着信があったので急な用事かと思い電話に出たところ、いつものくだらない話が2時間以上続いた時でした。
花火を見に行く夜道を歩いている家族の姿を遠目にしながら、私だけ社長のくだらない電話に付き合っている自分の姿が車のミラーに映った時に、急に、今まで社長のいいなりになってきた自分があほらしくなってきて、「じゃあまたゴールデンウィーク明けに会おうな」と言われ電話を切ったあと、「あぁ辞めよう」と思いました。
その日の夜に社長へのセクハラやパワハラがひどすぎる、ストレスで体がおかしくなっている、気持ち悪い、「明日から行きません」など、無茶苦茶な文章をメールで送りつけ、連休が明けてからは仕事には行っていません。
私の社長への無茶苦茶なバックれメールに対して、返信が翌日ありましたが、怖くて開くことができませんでした。
保険証や会社の鍵を返して、全てがクリアになった時に初めてメールを開きました。
メールの内容ははっきりとは覚えていませんが、冒頭は「君は勘違いをしている。セクハラというが…」でした。
その冒頭文から、私は呆れたのか記憶がありません。
さらっと流し読みをしましたが、今までの行為を謝罪するような文面や、セクハラを認めるような文面ではなく、全てを否定するような返事でした。
それだけは確実に覚えています。
正社員をバックレた後どうなったか?
- 電話は社長や上司からかかってきましたが出ていません。後で保険証を返すようにとメールが届きました。
- 給料はしっかり入っていました。日割り計算されていました。
- 離職票も郵送されました。
- すぐに違う職についたので貰っていません。
- 源泉徴収票は貰えました。
辞めてからは、すぐに仕事を変えて今でも頑張っています。
今では思い出話でしかありませんが、パワハラやセクハラが世間を賑わせているなか、今となっては、音声データの録音や、写真などをとっておけばよかったかなと後悔しています。
メールも残しておけばよかったと思っています。
今でもその会社の前を通るのが怖く、道を迂回するなどして避けている自分が本当に一番いやです。