ブラック企業と気づかず当たり前だと思って毎日終電まで働いてうつ病になった話
なぜ企業が新卒を取りたがるかわかりますか?
まっさらな状態の学生を企業色に染めたいからです。
ブラック企業の場合は何も知らない学生を洗脳して労働力を搾り取るためです。
私は憧れの大手企業に就職し、自分は選ばれた人間だと思いながら、自分の会社がブラック企業だと気づかずに7年間働いて気づいたときにはうつ病になってました。
なぜこんなことになってしまったのか。
今回はブラック企業のせいで私の人生がめちゃめちゃになってしまった話をします。
大手企業で働ける自分は勝ち組だと思ってたときの話
私はとある業界に憧れて、高校入学の頃からその方面で仕事をするために努力をしてきました。
進学先はもちろん業界への就職率が良いだけでなく、業界内でもより大手の企業にコネクションのある学校を選び受験しました。
合格後には、進学後に授業としても取り入れられられているような重要な資格の取得に向けて勉強し、高校卒業前に取得しました。
進学後には、必要と推奨される資格は可能な限り取得しました。
そこまでして、私はその業界に従事することにこだわっていた理由は今ではわかりませんが、当時はとにかく業界内大手の企業で働くことが自分の中では「勝利」だったのだと思います。
努力の甲斐あり、私は業界内で1、2を争う一部上場企業に就職することが出来ました。
50名程度の新入社員に対して、希望者は800名近かったと当時の人事から聞き
「自分は選ばれた」「努力は報われた」
と誇らしささえ感じて充実感に溢れていました。
その7年後、私は会社を辞めました。
キャリアアップのため、他者からの引き抜き、結婚など家庭の事情などという過去の自分が理想としていた理由とはかけ離れた理由です。
私は自分のままでいることすら苦しく、日常生活を穏やかに生活することすら難しくなり、充実していた自分が果たしてどんなものだったかさえ今ではわからない程に変わってしまいました。
入社後、新入社員全員に対して数ヶ月にわたった研修が行われました。
泊りがけの研修も何度かあり、生活を共にしながら同期との絆を深めていきます。
同級生とは違って、同じ業界・会社を目指した同期は志が高く、意見やビジョンも合う人が多かったので「負けられない」とライバル心を燃やしながら学生時代の部活とはまた一味ちがう心地の良い競争心が生まれました。
この研修が終われば、配属先が決まるということもあり、研修中には自分の希望の部署に配属してもらえるようにいかに自分が希望部署にマッチした人材であるかをアピールすることが大事でした。
研修後、配属先の決定に泣く同期が半数だったと思います。
それほどに、希望部署にいくことは狭き門だったのです。
私は希望部署への配属が叶いませんでしたが、這い上がる自信があったので気にしていませんでした。
配属されてわずか3ヶ月後、社運をかけた新規事業がいよいよ立ち上がるというタイミングで私は人事異動を命ぜられました。
新入社員では異例の、新規事業への配属だったのです。
社長が直々に名指しで私を新規事業に、と推してくれていると人事部長からも伝えられ有頂天になったのはいうまでもありません。
ただ、この人事異動が私の人生をかえてしまったのです。
新規事業は、なにも軸がない分自分たちでなにもかも決めていく必要がありました。
その苦労と充実感が比例して、なんて素晴らしい人生を謳歌しているのだろうか。と満ち足りた気持ちが続き、毎日の忙しさや様々な問題は気にもなりませんでした。
「自分はここに必要な人材である」
「ここで働きたくても働けない人の方が多いんだ」
「誰かの目標になるべく、もっと努力しなければ」
と、いつも自分を叱咤激励していたのです。
ブラック企業なのではないかと違和感を感じ始めた話
あっという間に2年、3年と月日が流れていきました。
気づけば、先輩という立場で後輩に指導したり、他者との打ち合わせなど重要な役割も任せてもらえるようになった頃です。
その頃から、自分の会社の違和感を感じ始めました。
- 有給の取得を1日も取ったことがない(同じ部署内は皆おなじ)
- 営業時間10〜21時のため、その時間がそのまま全員の就業時間で遅番早番などがない(11時間拘束)
- 残業代は月40時間(年に4ヶ月立つの繁忙期のみ60時間)しか出ない(毎日11時間拘束だったので、そもそも残業時間が足りていない)
- お昼休憩がない(各自が自己申告で昼食をとるが、皆デスクでおにぎりをかじる程度、外食をする人は誰もいない)
- 社内外の連絡に私用携帯を使っている(休みだろうが何時だろうが私用携帯に連絡がある)
- 業務内容が多すぎて帰れない(上司から末端の新入社員にいたるまで全員が業務に追われて7時出社、終電退勤がほぼ毎日)
- 公休でも会社から呼び出しがある又は休日出勤しなければ間に合わない仕事が多い(期日が近すぎる、無謀な仕事量、もちろん休日出勤手当はない)
などなど、自分の勤めている会社はいわゆる「ブラック企業」というものなのではないかと感じ始めました。
ブラック企業でやらされていることを「当たり前」だと思っていた
いまでこそ、スマホでも電車内の電光案内板でも、どこからでも情報が得られが当時はまだスマホも普及していなかったし1日のうちテレビを見る時間など5分もありませんでした。
大げさではなく、実際の就職してからの2年は帰ったらシャワーを浴びて寝て、起きたら着替えて仕事に行くだけの生活でテレビを見るという行為自体無駄な時間でしかなかったのです。
それでも、今となってはこれが「おかしいこと」だと分かりますが当時はこれが「当たり前」だったのです。
人というのは不思議なもので「当たり前」なことは「間違っていない」「普通」のことだと思ってしまうものだと思います。
多少の難などどこの会社にでもあるものだと疑いませんでしたし、「ここで働ける優越感」の方が優っていたのです。
だんだん毎日が憂鬱になってきた
そのまま数年が過ぎて6年が経った頃、あいも変わらずというよりもっと過酷な条件下で働いていた時期がありました。
1ヶ月の休みは2、3日、それも半日出勤して午後帰るというようなもので、週に1回は泊まりで朝まで仕事をしてから近くのネットカフェでシャワーを浴びて会社に戻る、そんな生活が馴染んでいた頃です。
より責任のある案件を任されていた当時、後輩や同僚が起こした問題を肩代わりして謝罪に追われる日が続いて毎日が憂鬱になっていました。
毎朝、起きがあると逃げ出したくなる気持ちが自分にまとわりついて、電車の中で涙が止まらなくなったりと情調不安定な日が多くなりました。
それでも、「休む」選択肢はありませんでした。
これまで、不調を訴えた社員に対しての会社のスタンスは「ついてこれない奴は使えない」というものです。
あからさまでないにしろ、言葉は悪いですが要はそういうことなんだと理解していましたから「使えない」と思われたく無かったが故に「具合が悪い」とは言いませんでした。
そもそも、この程度の不調は同僚も後輩も全員に言えることだったから、自分だけが辛いわけじゃない=「当たり前」だと思い込んでいたのです。
何かに追われているような恐怖心も、自分の仕事の処理の仕方が遅いから、確認が甘くてミスをするから、自分が悪いんだからと自分を追い込みました。
うつ病になり休職を経て退職した話
それから1年。
入社して7年目のある日、私はベッドから起き上がれなくなりました。
起き上がると同時に強烈なめまいで立っていられず、吐き気とともに目の前がシャットアウトする感覚に襲われました。
ありもしない妊娠を疑われましたが、初めて具合が悪くて会社を休みました。
その後、うつ病と診断されて休職を経て退社しました。
振り返ってみて初めてわかったのです。
私がいた会社がどれだけ、非人道的なブラック企業だったかということ。
でも、分かってからでは遅かったのです。
うつ病と診断され薬を飲んでいるかぎり運転もできませんし、薬から離れられません。
自分の生きている意味がわからなくて、消えたい。消してほしい。という感覚に襲われます。
なにかに追われているような、いつも誰かに突き落とされそうな感覚で、わけもないのに涙が出ます。
まさか明るい性格の自分がうつ病になるなんて・・・。
私は、明るく社交的な性格で、人付き合いも得意です。
友人や恋人、家族にも恵まれていますが、それなりの苦労もしている「よい生き方」をしてきたと思っていました。
そんな私でも、うつ病になってしまいました。
そういうのは弱い人間がなるものでしょ、とバカにするような気持ちでいたことも事実です。
それでも、私はうつ病になってしまった、この事実は消すことは出来ませんしどんなに後悔しても、元には戻れません。
手遅れになる前に転職という決断を!
会社は、こうなってしまった私の人生の責任と取ってくれません。
まともに働くことが出来なくなって、家族や国の制度は助けてくれても、会社は責任をとりません。
会社のために、7年間朝から晩まで、これだけ身を捧げてきたのにもかかわらずです。
もしもう1回やり直せるなら私は今の会社は3か月以内に辞めて転職します。
1回限りの人生、自分を大切にしてほしいと思います。
会社を辞めても、あなたはあなたのままです。
でも、うつ病という病気は、あなた本来の自分らしささえ、見えなくしてしまいます。
苦しんでいる自分を弱いからと思い込まないで、勇気を出して正しい当たり前の決断をしてほしいです。