会社で仕事量が多すぎて上司に訴えても改善せず、過労で体調を崩した体験談
日本の会社にはサービス残業が当たり前で長時間労働がはびこってる会社が多くあります。
過労死という言葉が現実になりそうな勢いで働かされ、実際に体調を崩して過労死の一歩手前まで行く人多いです。
それを上司に訴えても「俺のときはもっと働いていた」などの武勇伝を語られて改善しません。
今回はそんな仕事量が多すぎて上司に訴えても改善せず、過労で体調を崩した人の体験談を紹介します。
病院でドクターストップを受けてるのに上司から仕事の連絡が止まず、仕方なく出勤して体を壊し、半年体調が戻らなかった体験談
私は過去プログラマーとして働いていました。
新卒で入社した企業で最初に飛ばされたプロジェクトは、一度倒れかけて再建をしなければならず、再建できなければ依頼先は裁判を起こすと言われていた超炎上プロジェクトでした。
設計書もほとんどあてにならず、一から作り直さなければならない状態で、仕様も何度も何度も作り終えては変更され、モグラ叩き状態になりました。
プログラマーという立場なのにもかかわらず、なぜか設計までさせられ、お客様先に直接訪問してその場で仕様を聴きながら作るという強引なこともさせられました。
全然終わりが見えないのに、仕事量は増え続け、人件費削減のために人はどんどん外れ、新卒の私は単価が安いのでどんどん働かされました。
月の稼働時間は230〜250時間。
休日は月に2日で、平日は終電まで働き続けました。
時には終電も逃してタクシーで家まで2時間かけて帰るという日もありました。
やっともらえたはずの休日も、朝電話がかかってきてこれから来れないか?と出勤を強要されることもありました。
夜遅い時間に仕様の確認をされ、夜12時まで電話させられたということもありました。
拘束時間は起きている間ずっとと言っていいくらいひたすら働かされました。
さすがに体がもたないと思い、上司に何度も相談しました。
すると上司は「みんなそういうプロジェクトを一度は経験するんだ。これを反面教師にして頑張ってほしい。」と諭されました。
上司から常駐先に一度申し立てをしてもらいましたが、全く意味がなく、このプロジェクトが終わるまでは我慢するしかないと言われました。
上司は私を外すことができなかったのは自分の力不足なのにもかかわらず、「俺の時は稼働時間300時間超えていた。夜は眠らなかった。泊まり込みで仕事をした。」などと、自分の武勇伝を語ってきました。
男性でも大変なのに、私は女性でも同じ条件をクリアできないといけないのかと腹が立って仕方ありませんでした。
とにかく今だけだと自分に言い聞かせ、体に鞭を打って仕事を続け、そんな状態が3ヶ月くらい続いたある日、家の中で突然ひどい頭痛で倒れ、熱を測ると40度近くありました。
そんな状態で仕事などできるわけがないので、リーダーに休むと連絡すると、明日は必ず出てほしいと言われました。
そんなの体調次第だからイエスと答えられるはずありません。
熱は一向に下がらず、病院では疲れによるものだと言われ、しばらくは休養するようにとドクターストップを受けました。
上司はそんな私のことなど御構い無しに何度もメールで仕事の連絡をしてきました。
時には電話の連絡もしてきて、咳も乾いた咳が喋るたびに出ていたので、心配する一言があってもいいのに、それすらありませんでした。
3日ほど休むと熱が37度くらいに少し微熱になりました。
仕方なく私は出勤しましたが、咳が止まらず声はガラガラになってしまいました。
でも仕事はどんどん降ってきて、出勤してやらないわけにはいかなかったのでひたすらこなすしかありませんでした。
さすがに周りのメンバーは私の体調を心配してくれましたが、仕事を代わりにやろうとする人はいませんでした。
結局そのプロジェクトは終わりを迎えましたが、私の身体はもうボロボロでそのまま体調がしばらく元に戻りませんでした。
土日もやっと帰ってきても洗脳されているせいか、電話がいつなるんだろうと恐ろしくて休むに休めませんでした。
本当に今日は休んでいいんだろうかとそわそわして、寝付けないこともよくありました。
やっと体調が前に戻ってきたと感じたのはおそらく半年くらい経ってからだと思います。
二度とあんなプロジェクトは経験したくないですし、あんなプロジェクトが当たり前という考え方を世の中から消し去りたいです。
超多忙なアパレル業務で過労で業務中に後ろに倒れ、救急車で運ばれ吐血したのに次の日も出勤させられ、遅刻で減給された体験談
アパレルの仕事での体験談です。
9時に出勤し、店舗の鍵を開け、在庫の数を数え、前日の売上や報告を読み、対応するものがあれば対応確認。
破損(ボタンが取れている、ほつれているなど)があれば破損を手縫いで直します。
店舗開店までに服を、整理整頓をし、開店。
開店したら入ってくるお客様にかならずお声掛けをして仲良くなることが義務付けられていますが、お得意様はいつも担当しているという方がいるので、声をかけてはならない、というのを頭とその場の雰囲気のみで覚える事でした。
売り上げは1日店員1人につき20万となっており、エリアによって単価は違いました。
残り少ないものの発注業務と新しいデザインなどを売上予測をし、トルソーのコーディネートをし、コーディネートがなかなか目に止まらないようならコーディネートを変える形でした。3日に一度は必ず目に止まっていても変更でした。
お声掛けをしてて試着に入られたら、最後までその方の相手をする事でしたが5分以上ご購入に至らない場合注意が入り、説教タイムが設けられます。
試着でファンデーションがついてしまっている。
口紅のあとがついたなどは染み抜きを裏でします。
こちらも5分以内で処理するようにとされていました。
返品があった場合、手書きで謝罪文を書く事が義務でした。
本社の方にも報告書と謝罪文を書くことと謝罪の電話をする形でした。
店舗人数が足りない時は休日だった日にヘルプにはいり、そこでのノルマもありました。
店内のアレンジ変更業務もありましたが、一週間に一回。大移動でした。
他店舗への配送と受注、HPの作成と個人のブログでの営業もあり、そこから集客がない場合も減給対象でした。
労働基準法に該当しないようにタイムカードが押され、毎日2時間以上6時間未満のサービス残業があり、そこからの減給でした。
ドレス、フォーマルスーツ、カジュアルスーツ、40代向けと30代向けのエリア、セール品エリア、小物のエリアとアクセサリーエリア、シューズエリアなど全身コーディネートできる店舗だったので、全てのエリアの担当者の好みを覚えることと担当しているお客様の顔と名前を覚えることが暗黙ルールでした。
間違ってお声をかけると説教タイムです。
店内の掃除はお客様が帰られたあとに徹底されていました。
ホコリが見つかるとはじめからやり直しで雑巾がけを店内全部します。
お花の水交換と店舗の窓拭き、必ず6センチ以上のヒールを履くことが義務だったのですが、時間がかかると処罰対象でした。
服の知識を毎日復唱することと、必ずその時言った言葉をその日に使う事になっていましたが、ご購入にいたらないと指導が入ります。
セールのシールはりとPC入力は30分以内に終わらせる事となっていました。
季節に合ったコーディネートをしていないと判断された場合、その場で新作の購入をすることになっておりました。
月に3万円ほどの出費は必須ということに暗黙ルールでなっておりました。
接客でのノルマが単価500円からある中でこなしていくのが困難で、フォーマルエリアは先輩方の担当になっていたりするので手が出せず、自分のノルマ扱いにされませんでした。
サービス残業やノルマの件、購入のルールなどで上司や本社に問い合わせなどしましたが、悪化しました。
ノルマ金額が上がり、手直しの担当エリアのみ増え、掃除は一人でやることになりました。
休日のヘルプ業務もかさなり、週一回休みがあるかないか、という状態になり、業務中に後ろに倒れ、救急車で運ばれ吐血しました。
次の日も出勤だったのですが通院義務がかせられ、業務前に病院に通い、遅刻したら減給でした。
覚えることとノルマ、時間が決められた業務をループする事が大変ストレスでした。
電気設備管理の会社で営業職と現場食を無理やり兼務させられて体も心も怖し、うつ病になった体験談
私は電気設備管理の会社に勤めており、元々は営業職として自分の顧客分の仕事に対応していました。
昨今、若年層の早期退職と団塊の世代の退職があいまって、現場職の人員が足らなくなりどうしようもなくなった会社として出した対策が、私たち営業職が現場職を兼務するというものでした。
営業職の人員自体が元々少なかったという事もあり、私が持っている顧客担当分は減ることはなくそのままで上司は業務の均平化どころか私自身の業務量の把握もしていない状況でした。
上司には現顧客分の営業業務と現場職を兼務するという事は、自身のキャパシティをオーバーする事になりかねないので、せめて営業顧客分を他の人へプールしてくれないかと上申しました。
しかし上司からの返答はやってもいないのに、キャパシティがオーバーするかどうかは判断できないし業務量が増えたという事は、より効率化して取り組んでほしいと言われ何も対応はしてくれませんでした。
仕方なく現場職との兼務が始まったのですが、現場職のお客さまは設備を停電して検査を実施する事がメインであり、検査時間がお客さま主導の為、早朝、深夜、休日祝日の業務も多く、平日であっても一日外回りでお客さまの設備を点検する事がほとんどであり、会社にいるのが朝と夕方のみでした・
営業担当のお客さまからは、電話とメールでのやり取りがほとんどであり、外回りで点検していても電話による見積依頼の連絡が頻繁にあり、会社に戻るのが夕方となるのでお客さまには謝りを入れる毎日でした。
夕方会社に戻り、急いで見積を作成するのと、メールでの依頼事項を確認するといった流れでしたのでほぼ毎日残業する事が多くなり精神的にも体力的にもかなり参っていました。
上司に話をしようとしても、夕方遅く帰ったころには退社しているので話もできす重要事項は朝の少しの時間に言われることばっかりで、自分の意見はほとんど話す時間もありませんでした。
たまに時間ができた時に上司には何度も今の状況に対して業務量を減らしてほしいと話をしましたが返答としては、人がいないから仕方ないの一点張りで何も対応はしてくれませんでした。
営業の同僚や上司は、現場ばっかり行っている私に不満を言い、逆に現場の人たちは片手間で仕事している私に対してあまりいい印象は持っていませんでした。
まさに板挟みの状態で誰にも相談する事ができませんでした。
体力的にも、早朝深夜と休日祝日、毎日の残業を繰り返す内にだんだん調子が悪くなり、会社に出てくることが憂鬱になっていき、たまに会社に出てくる事ができなくなっていきました。
最初は朝の出勤時の軽い嘔吐から始まりました。
元々胃腸は強い方ではないので、何も気にはしていませんでした。
しばらくして症状が必ず月曜日の朝に発症するようになり、ひどい時は出勤時に会社の近くに行った際に嘔吐が始まる事もありました。
嘔吐だけでなく倦怠感も現れるようになり、さすがにこれはまずいと思って内科に行きましたがこれといった病状はなく、しばらくして精神科を受診しました。
完全に鬱病でした。
ただ私自身が鬱病と認めたくないのもあり診断書はもらわず、社内の産業医との面談の中でどうしたらよいか相談していました。
産業医との面談でさすがに上司もまずいと思ったのか色々と声をかけてくれるようにはなりましたが業務量をシフトするといった具体的な対応はせず、症状は全く改善はしませんでした。
業務量のシフトがないままで、不規則に休暇を取得するこが多くなった私は完全に業務ができない状況になってしましました。
しばらくして、会社の下した判断は兼務でなく完全現場職への移動通知でした。
結局上司は、今の私の状態に対して環境配慮をすることなく、診断書をだされるまえに現場へと投げたのです。
とてもショックでしたが、そんな上司の元で仕事をするよりかは良かったのかもしれません。
今の現場職の上司はよく話を聞いてくれますし、相談もしやすいので、症状もだんだん良くなってきています。
無理に今の状況に固執して自分を壊すくらいなら、新たな場でやり直した方が良いと思いました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
会社で体調を崩すまで働かされて、仕事中に倒れて本当に過労死寸前まで行く人やうつ病になる人がいます。
そんな状況でも会社はそれを深刻に見ず、当たり前のようにまた同じように働かせます。
こんなことが許されていいのでしょうか。
もうそういう会社は辞めるしかありません。
でも辞めるのは難しいですよね。
そこでこちらの記事で辞めにくい会社を辞める方法を解説したのでぜひ参考にしてください。