辞めたいのに辞めさせてもらえないブラック企業をなんとして辞めた人の実例
辞めたいのに辞めさせてもらえない。
ブラック企業ではありがちなことです。
なぜならブラック企業は常時人手不足で1人でも辞めると困るからです。
しかしいつまでもそんな会社で働き続けることはあなたの人生の貴重な時間を無駄にするだけです。
今回はなかなか辞めさせてくれないブラック企業を何とかして辞めた人の体験談を紹介するのでぜひ参考にしてください。
ブラック企業をなかなか辞めさせてもらえず、なんとして辞めた人の実例
ストレスで心療内科に通うようになった同族企業の食品メーカー勤務の30代男性、クロエさんの例
中小の同族経営の企業で、食品の製造販売を行なっていました。
上層部(社長、専務、取締役)は全て創業者一族で、常務は唯一同族ではありませんでしたが、完全に社長の腰ぎんちゃくでした。
そんな企業なので、何を行なうにも社長のご機嫌を伺う必要があり、ほとんど全てのことが社長の意見で行なわれているワンマン経営でした。
私は商品開発を担当する部署にいましたが、週に1度新製品会議を行なっており、そこには社長が参加していました。
新製品会議は半日ほど行なわれるのですが、その半分以上は社長コメントになります。
新商品や既存品に関することならまだしも、会社が置かれている状態などの関係なく、更に主にお説教などが長々と続き、肝心の新製品に関することは時間がほとんど取れないことも多々あり、言いたいことだけを言って途中で退出することもありました。
そんな時は最終的な判断が出来る(許される)人間は社長のほかにいないため、結局はお説教だけをくらって、何も決まらないことも良くありました。
また、社長は新商品に対して、色々とアイデアを出されるのですが、それは思いつきのことが多く、裏付けるデータなどに乏しいものがほとんどであるため、あまり真に受けていなかった場合などに次の会議で、あれはどうなった等の厳しい追求がなされていました。
仕方なく、その仕事に取り掛かって商品化できたとしても、他の部署から、何でこんな売れないようなものを新商品として出すのか等と問合せがある等、つらい立場におかれていました。
また、多少売り上げがよければ、よいのですが、売り上げが悪いものなら、アイデアを出したことは忘れて、こんな売れないものをつくりやがってと手のひらを返したように怒鳴られることもありました。
会社の売り上げが低迷し始めると、色々な削減などが行なわれました。
まず初めに残業の削減が行なわれました。
規定時間以上の残業をしていた場合、総務にきびしい追求を受けるようになりました。
その後、残業する場合は事前に申請をするように変更となったのですが、研究開発というある意味で時間の読めない仕事内容でしたので、それも難しく、結局は申請どおりに終わらなければ、残業として認められないなどの問題がありました。
また、総務からは残業に関して厳しく追及される一方で、社長からは新商品を開発するのが開発の仕事だから、時間など関係ないという発言もあり、板ばさみされるようなこともありました。
次に賞与にも大きく影響が出始めました。
もともと半年に1回1.5ヶ月分が支給されていましたが、特に説明も無く、1ヶ月に減給されました。
さらに期日どおりに支払われていたのはまだよいほうで、やめる直前には支払い期日を1ヶ月過ぎても何の連絡もなく、夏季休暇や冬期休暇に入る直前に少額が振り込まれているような事態となってきました。
そんな状態がしばらく続いて、もちろん昇給や昇進などもまったくない時期が続き、社員からの不満が高まっていることを察知したようで、久しぶりに昇給が行なわれましたが、その代わりに交通費の削減が行なわれました。
会社は公共交通機関では通勤が出来ない場所にあるため、ほとんどの人が車で通勤していましたが、そのガソリン代の計算方法の変更があり、実質的には片道分くらいしか支給されないようになり、トータルして給与の総支給額は下がりました。
社内へのお金に関しては、かなりシビアでしたが、元来上昇部の方々は外面が良いため、社外のアピールにはお金の投資を惜しみませんでした。
新工場の建設にあたり、工場見学用のスペースを設けることになりましたが、そこに見晴らしが良いためといって、芝生の広場を作り、桜を植えて花見が出来るように、等食品工場とは思えないような仕様にしてしまいました。
何も分からない人から見れば確かによい景色かもしれませんが、食品工場にとっては、芝生や桜は虫の住処や発生源となるため、無駄どころか、食品への悪影響を及ぼしかねないものでした。
その構想が出た時点で、危険性があるため、計画から外してくださいと直談判したのですが、却下されました。
さらに、工場見学のための広いスペースを確保したために、肝心の工場の広さが足りずに、機械のライン組みがかなり複雑なことになり、誰のための工場かわからないような工場が出来上がってしまいました。
工場が建って数年したのち、特に手入れなどもしていないため、芝生は荒れ放題となり、肝心の桜の木も花が咲かないようになってしまいましたが、大きなお客さんが来る前には社員が総出で掃除したり、桜の木を新たに植え替えるなどしていました。
そのようなさまざまなことが積み重なり、週に一度の会議に参加するのが本当に億劫になってしまい、心療内科に通うようになりました。
会社のストレスが原因といわれたので、それを機に転職活動を始めることにしました。
運よく新しい企業への採用が決まったので、いざ退職願を提出したところ、会社の上層部から50件を超える電話が私用の携帯電話にかかってきて引きとめを受けました。
しかし、そのときには、そんな電話に出られるような精神状態ではなかったため、転職のエージェントにも尽力していただいて、何とか会社を退職することができました。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
今の状態が正しい状態かをその企業の中ではなかなか気がつきにくいとは思いますので、友人や知人などの異なる会社に勤めている人たちと仕事についての話をする機会を多くもうけて情報を仕入れることが大切だと思います。
自身の勤める会社が異常であるということが判明したのであれば、その異常を正せるものなら正して、正せないのであれば、辞職することも検討してはどうかと思います。
さまざまな可能性を考えて、自分の居場所を見つけて欲しいと思います。
心療内科へ行かないよう指示された販売業勤務の20代女性、玉ねぎさんの例
私は大学卒業後、とある携帯ショップに入社しました。
最初は先輩社員の人間関係も良好な雰囲気で基礎研修も充実していていいなと思っていたのですが、半年程経って接客をするようになってから、印象がガラリと変わりました。
応対が終われば、後処理などの業務が残っていても勝手にタイムカードを切られ、ミーティングで毎日遅く残らざるを得ませんでした。
休憩も50分しか無く、時には休憩時間を取れない時もありました。
土地柄もあってか無理難題を押し付けてくるお客さんも多かったのですが、それでも責められるのは必ず社員で、新人社員であった私達はよく先輩社員に理不尽な事で責められました。
中には良くしてくれた先輩社員も居ましたが、そうではない先輩社員の方が圧倒的に多かったため苦痛でした。
また、入社前の説明会では「ノルマは無い」と聞いていましたが、実際に入社してみると「目標」があり、ノルマと言っていないだけで、実際はノルマがしっかりと存在していました。
お店全体のノルマもあれば、スタッフ個人のノルマもありました。
項目ごとに細かくノルマがあり、売り上げが芳しくないスタッフはあまり優遇されていないような印象もありました。
実際、売り上げが多くノルマも達成している社員は役職社員と仲も良かったですが、売り上げが悪くノルマを達成していない社員は理不尽な事で叱責をされていました。
実際、私もあまり良くない方だったため、まだ接客を始めたばかりの頃から「トークがなっていない」「研修や店の座学やミーティングで何を学んだんだ」「今までとってきたメモを見せてみろ。こんなものではダメだ」とよく叱責されていました。
先輩社員の後ろについて見学している際もメモを取らなければならないのですが、毎回役職社員にメモ内容を提示しなければならなく、役職社員の思っているものと違うと「後ろで何をしていたんだ。会話を全てメモしろ。」と叱責されました。
それが一貫していればいいのですが、日によって、役職社員の気分によって変わってくるので、実質理不尽な叱責を受けていました。
その事で私達の前に入社した社員3人は全員入社してから4ヶ月以内に会社を辞めてしまったと、とある先輩社員に聞いたこともありました。
私は日々我慢をしながら通勤していましたが、毎日のように泣いて帰宅していました。
そうしているうちに体調を崩すようになり、休みがちになりました。
出社しようにも吐き気が酷く体も重たくて動けなかったため、ほとんど出社できませんでした。
様々な検査を病院でしましたが、異常はありませんでした。
友人に話すと心療内科に行くよう言われ、出社できた時に店長に相談しましたが、心療内科へ行く事を否定されました。
その時に検査結果も伝えており、ストレスが原因ではないかとの医師の見解も伝えています。
その時に、この会社はダメだと思い、辞めることを決意しました。
しかし、それから約4ヶ月間辞めることは許されませんでした。
私が勤めていた店舗はその年に4人ほど辞めており、人手が足りていませんでした。
そのため、どんな手を使ってでも引き止めたかったのでしょう。
無理をしてでも出社するよう強制され、出社をすれば休んだ事や体調が悪い事を責められ、症状もどんどん悪化していきました。
食欲も無くなり、固形物が食べられない程にまで追い込まれました。
「病院へ行け」と言う割には「心療内科」へは行くなと言われ続けました。
無理をして出社するよう強制したにも関わらず、業務中に体調を崩してしまった時も「無理なら来るな」とこの上なく責められました。
その当時、私は会社の言いなりで、どうしていいか分かりませんでした。
辞めようと決意してから4ヶ月程経ったある日、前日にやはり無理をしてでも出社するよう言われていたため、出社する準備をして家を出ました。
その瞬間、過呼吸を起こして病院に運ばれました。
その時も様々な検査をしましたが、異常はありませんでした。
その日は会社に連絡も出来ず、無断欠勤になったそうです。
次の日、また出社しようと家を出た時に過呼吸になり、家族が知り合いの薬剤師に相談して、近くの心療内科へ行きました。
そこで、ストレスによるうつ病、適応障害との診断を受け、すぐにでも会社を辞めるよう言われました。
その時に初めて、店長や他の先輩社員が心療内科を受診する事を拒む理由が分かりました。
かつて私と同じように精神疾患を患い、退社した社員が多くいたらしく、そうやって辞められることや休職されることを恐れていたのだと思います。
結局、あれから私は一度も会社には行かずに辞めました。
私の症状を深刻に受け止めていた母親が退社手続きを代理でしてくれ、同じ職場だった彼氏が荷物をこっそり少しずつ持って帰ってくれました。
今思えば、社内恋愛だったということも災いしていたのかなと思います。
私が勤めていた会社は「女社会」そのものだったため、良く思っていない人が多かったのでしょう。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
とにかく、無理はしないでください。
自分の体は1つしかありません。
何かあったからでは遅いです。
ブラック企業を辞めるのは本当に大変な事ですが、私のように体を壊す前に、信頼できる人に相談してみてください。
きっと、あなたのためを思ったアドバイスをくれるはずです。
また、ストレスが溜まっている人は是非、早めに心療内科を受診してみてください。
うつ病や適応障害などの精神疾患の診断書を提示すれば、どんなブラック企業でも休職や退職の手続きを受理せざるを得ないと思います。
それでダメなら、法的処置もきくと思います。
とにかく、会社の人間以外の人に相談することが大きな一歩になると思います。
嫉妬深い上司からしつこい嫌がらせを受けた塾講師勤務の40代女性、A.Mさんの例
私が働いていたブラック企業は、子供関係のお仕事でここ最近急上昇に教室が増え、講師をガンガン募集し増やすだけ増やした企業だったのですが、増やしすぎて生徒数が各教室で取り合いになり蓋を開けたら会社自体赤字運営というどんぶり勘定の会社でした。
講師陣は散々研修などに出席しなければならず、特に社員講師に関しては部長クラスの女上司からの執拗なパワハラに耐え切れず優秀な人ほど辞めていく会社でした。
パワハラというのも、大体が自分が気に入ってる講師に対してはどんどん出世させる。気に入らない講師は、平のまま。
仕事をどんどん取り上げられ何もさせない状態を作ったりと結構卑劣なやり方のパワハラをいろんな教室の先生にやっているのを聞いて自分もそのうち番が回ってくるかもしれないと誰もが思っているような会社です。
女上司はトップのCEOと出来ていて、不倫関係と後から知りました。
少しでもCEOに褒められたり、業績を称賛されたりすると女上司からの嫉妬で嫌がらせが始まります。
自分自身は教室では生徒数も多く、講師指導なども任されており、時折CEOからお褒めの言葉を頂いたりすることもありそのたびに女上司からチクチク嫌味を言われることがありました。
ある時、自分が手掛けていたプロジェクトでたびたび北海道の講師の育成を行っていました。
出張も月に1回ほど行っており北海道支部の講師陣にも信頼されていい人間関係を作ってきたのにも関わらずCEOの北海道の業績が良くなったのは私のおかげとCEOが全体会議で称賛をしたため、次の月からの北海道のプロジェクトからは外されてしまい本当にがっかりしました。
他の講師でもそういった、一生懸命頑張ってきた仕事を出来上がる直前で取り上げ、自分の気にいっている講師に与えてしまうのです。
また、会社の業績が赤字だったことで社員への給料の支払いが滞り給料が入らない状態で残業をさせられたり出張したのにもかかわらず出張費が出なく自費になってしまったりトラブル続きでした。
私への他の嫌がらせは、私が育成してきた講師を私の上司のポジションに与えた事でした。
後輩からの指示を受けて運営することになってしまい人間関係が崩れてしまい運営が非常に大変になりました。
私の業績は常にトップだったのですが、女上司はそれが気に入らずあれこれと嫌がらせのオンパレードを私に向けるようになったのです。
一度目を付けられると執拗に嫌がらせは続きます。
何度も退職を考えましたが、自分には100人近くの生徒がいてその子たちをすぐに見捨てることが出来なかったのと、自分を慕ってくれる講師たちが引き留めるため退職が出来なかったのです。
1年ほどそのような状態が続き嫌がらせを受け続けていたところ心身共に疲労が重なり、目が原因不明で腫れ続けてしまい通院をしても全く治らない状態でした。
高熱を出しても、代わりの講師が居なくて教壇に立つ日もありました。
それでも、生徒達からの信頼で何とか仕事に毎日向かう日々でした。
体が辛いので退職をさせてほしいと相談の連絡を女上司にしたところ、そうはさせないとまた嫌がらせが始まります。
結局、バリバリ仕事をしていい業績を上げると気に入らない。
じゃあ、辞めてやると声を上げるとそれもさせない。
本当に行き詰ってしまいました。
私が辞めたいと女上司に言ってから、今度全体会議で成功体験を発表させられたり(その原稿は女上司が書き上げたものですべてが本当の事ではありません)
一体何がやりたかったのだろうと今でも不思議に思います。
全体会議で称賛され、成功体験を発表したことで講師陣からはあこがれられ、急にちやほやされるようになり、これで退職を回避できると女上司は思ったのでしょうか・・・
私は、女上司が作った物語で持ち上げられているのが本当に嫌でした。
嫌がらせとは違い、がんじがらめにしていく事に窮屈さを感じ私の体調はさらに悪化することになりました。
私はこのままこの会社にいても、無能な女上司に振り回され続けていくのはつらいと思い辞めることを決断しました。
本気で辞めると決めたら、後先を考えていられないと思ったのですがこんな会社ですから、たまたま他に辞めていった講師からの引き抜きがありそっちでの就職を検討していろいろ用意周到に転職を検討しました。
女上司のお気に入りである、私が育てた私の直属の上司に辞めたいことを伝えると、辞めてほしくないと泣かれました。
きっと、私が辞めたら生徒数が減ってしまう懸念を考えて女上司から辞めさせないように念を押されていたようです。
ここでもしばらく、退職の受諾が出ませんでした。
他も決まっていたので自分としては一日も早く退社をして有給を消化したかったのですが。
退職の許可が出て、有給に関しても日数が全くおかしなものでした。
一回も有給を使ったこともなかったのに、出たのはホント数日のみ。
後から聞いたのですが、有給も出せないほど会社の経営が悪かったのだとか。
今や辞めて良かったと思えました。
ただ、生徒たちの事が気がかりですが・・・
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
ブラックと言ってもいろいろだと思います。
時間、給与、人間関係・・・などなど。
きっと、ブラック企業に仕立て上げてしまうのはその会社の中のホンの一人二人のせいでブラック企業になってしまっているのではないかと思います。
中にはブラックだとダイレクトに思う人もいれば、逆にいいポジションを与えられいい環境いい条件でお仕事してる人もいると思います。
自分にとってどっちなんだろう?この会社は将来性があるのだろうか?と考えて決定するのがいいと思います。
大抵、上司が気分で経営しているところなんてロクな企業じゃないと思います!
ネイルサロン勤務の30代女性、猫娘さんの例
私が働いていたのはネイルサロンですが、手軽に出来るクイックのお店でした。
いわゆる薄利多売のお店です。
特別凝ったデザインは出来ないけれど、安く早くネイルが楽しめますよというスタイル。
金額も3000円くらいで少しアートを入れても5000円。
1時間〜1時間半でご案内、施術、会計、お見送りまで済ますのが主な流れです。
施術時間が決まっているので予約は詰めて取るのが当たり前、多い時には7人施術することもありました。
そんな日は休憩すら出来ず、トイレに行く暇もなく、売上を無視してお客様に早く出来るデザインを提供し、その空いた少しの時間で水分補給したりトイレを済ましたりしていました。
なぜそんなサロンに就職したかというと、資格だけ持っていてサロン経験がない私にとって数をこなせるクイックネイルサロンは勉強になると思いかなり魅力的だったからです。
そして家から歩いて通え、オープニングスタッフ。
当時20代半ばだった私はオープニングスタッフというのが上下関係も気にならず、最高に良い条件でした。
受けてみて即採用して頂いたのですが、私が採用になったのはオープンまであと1か月半という時期。
それなのに他のスタッフはまだ決まっておらず、県外のサロンの店長さんが来てくれて2人でオープンを迎える事に。
面接に来ている人は多かったのに、選びすぎなのか中々スタッフが決まらず、オープンから2か月は私と県外の店舗のスタッフさん2人で切り盛りしていました。
2か月経ってようやく新人さん配属。
それがなにを基準に選んだのか、40歳で挨拶もあまり愛想のよくない女性でした。
そして勤務開始からわずか1か月でいきなり来なくなりました。。
当日LINEで今日は休みますという連絡がきて、それっきり音信不通。
予約のお客様に頭を下げ、時間をずらしてもらい何とか対応しましたが、今でも残念なような腹立たしいような気持ちは忘れません。
最初の印象もあまり良くないスタッフだったのに、なぜ会社が採用したのか未だに謎です。
それからは近くの店舗のスタッフの一人が私の店舗と自分の店舗を行ったりきたりするようになり、実質3人で2店舗の営業をする事に。
オープンからラストまでの勤務は当たり前。
休憩室もなかったのでお店を離れて休憩も出来ず、一人で施術、飛込のお客様対応、店販の販売、電話対応、モール内の日報管理等全てこなす毎日。
休みも8日ある契約でしたが、半分の4日。残業時間も毎日約3時間ありました。
交通費支給もなく、お給料も休日出勤や残業をして16〜17万円。
残業しないと約12万円です。。
2店舗掛け持ちのスタッフは10キロ痩せ、お客様に心配され差し入れを貰う事もしばしば。
唯一の救いはお客様が親切で良い人が多かったことです。
ご来店後にメールでアンケートがいくのですが、お客様がそこのコメント欄に『○○さん(私)いつもいるのでちゃんとお休みは与えてるのでしょうか?』や『いつも一人働かれてて、会社の体制おかしくないですか?』等記入してくれる方もいました。
2店舗で3人のスタッフ。
皆どんどん病んでいき、とうとう1人が耐え切れなくなって辞めることに。
以前から辞めたい事、体制が変わらないと困ると訴えてきたそうですが、会社は何とかするからもう少し頑張ってというだけ。
結局妊娠してドクターストップをかけてもらい、正式な診断書を提出してお店に出られないようにして強引に辞めていきましたが。
そして残ったのは2店舗で2人のスタッフ。
会社側に片方の閉店を持ちかけましたが、再び他県のスタッフを呼び変わらず営業を続ける事に。
頭にきたので両店舗の事は考えず、自分の店舗の事だけ考えるように決めました。
会社に何度も現在の体制の不満を訴えたのに全く聞き入れられず、話し合えば話し合うほど会社の都合ばかりしか言わない上司に嫌気がさし、私も辞める事を考え出したのは今思えばこの頃ですね。
ネイルの仕事は大好きでこの先も続けていきたかったので、独立を視野に入れることに。
いつ独立するかを決めてそれに向かって準備を進めていく事を決意し、お客様の情報を持っていく事は犯罪だったので、一から始めるつもりでしっかり準備を整えていきました。
準備は1年近くかかったのですが、良いタイミングでスタッフ2人が入り、新人さんに任せる不安も全く考えずに来月一杯で辞めますと辞表を出しました。
ここでも会社は自分たちの都合ばかり。
『新人さんがもう少し育ってから』や、『せめて年内いっぱいまで』等言われ続けましたが、断固拒否!!
お客様に対しては急に辞める事を申し訳ないと思ったのですが、会社が困ろうが自業自得と思い最後の月は残っていた有休を全て使ってやりました。
私が辞める直前に他県のスタッフで回していた近くの店舗は閉店。
それから約半年後、残りのスタッフも嫌になり辞めたいと申し出て、結局スタッフがいなくなるので閉店することに。
もっと早くに育った人が長く続けれる職場を意識してたらこんな事にはならなかったのに・・・。
思えば他の店舗も似たような状況が多く、新しい店舗をどんどん増やしていく一方、閉店する店舗も多かったので自転車操業になってたのかなと思います。
閉店のお陰で行くところがなくなったお客様がスタッフに私のお店の事を聞き、そのままご来店して下さるようになったので、その点に関しては良かったです!
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
良い企業は人を大事にし、人材育成に力を入れています。
ブラック企業は会社都合が最優先ですから、どれだけ意見を言って改善を求めてものらりくらりとかわすだけです。
会社にとって1番の財産は従業員ですので、その従業員を無下に扱う会社はブラックと言って良いと思います。
労働基準局に行くのも一つの手ですが、結局証拠がないと取り合ってもらえません。
ブラック企業と戦いたいと思う方はタイムカード等を写真に収め、証拠を集めてしっかり準備しておく事をおすすめします!
ただ私のように辞めて新しい道が開ける事もありますので、迷ってる方は思い切って行動してみて下さいね。
辞めようとする社員を山奥に連れて行き殴る蹴るの暴行をして辞めさせない超悪質な飲食店勤務の20代男性、MAaさんの例
このお店は出勤時間にどんな理由あろうと1分過ぎたら遅刻罰金(10分500円)を給料から引かれます。
それとどんな事情でも休んだら「親族が亡くなってお葬式の時、大晦日、三が日でも」休み罰金(平日休みは30000円週末休みは60000円)を取られます。
給料の半分は持っていかれます。
1日に社長の電話を二回出れなかったら(出ないの1回につき1000円)給料から引かれていきます。
お風呂時も寝ているときも常に出れる状態にしておかないといけませんでした。
客引き(呼び込み)は毎日当たり前です。
めんどくさいお客はわざと揉めて殴られるように仕向けさせられたり、車は免許がなくても運転させられました。
休憩無しの約10時間から13時間労働の週7日で私は5年間正社員として働いてました。
それに震災が合った時もお店が節電で停電していても台風が来ていてもお店が休みになることは一度もありません。
ロウソクを使ったりコンロを使って営業をしていました。
辞めようと決心したのは、こんなブラックな仕事と分かっていても毎日私は無遅刻無欠席で仕事をしていましたがある日私の知らないところで他の社員二人がお店の金庫からお金を盗んでることが社長にバレ、そしてその二人がいつも仕事をサボっていることがバレてしまい連帯責任でなにもしてない私達まで歩けなくなるまで殴られ蹴られた後、皆3ヶ月間給料無しと言われ流石に生活も出来ないし耐えれませんでした。
幸い私とその他の何人かは貯金があったので3ヶ月間を乗り越えられました。
辞めようとしたけどなかなかやめれず苦労したことは、力で押さえつけられていて少しでも辞めようとするそぶりを見せると夜中に社長に誘われ車に乗り進むと真っ暗な山奥に連れていかれそこで社長が納得するまで殴られ蹴られ「その間ずっと辞める気がありません。っと言い続けなければなりません」そんなのを目の前にしたら怖く辞めようにも辞めれませんてした。
新人はそれを嫌でも無理やり連れていかれ無理やりその現場を見せられ殴ったり蹴ったりするのを手伝わされます。(みせしめみたいなものです。)
今まで何人かの人たちがやっとのことで辞めていきましたが「辞める時は2ヶ月前に言わないと行けない決まりでしたので」もし会社を辞められても、辞めると決まった二ヶ月間訳の分からない色んな理由で罰金などを無理付け大体2ヶ月分の給料はやめる頃には給料がマイナスか小銭程度です。
そしてその二ヶ月間辞めるときに今まで無傷でやめた人は私は以外は誰もいませんでした。
辞めると分かった人は上司などのストレス発散のオモチャにされ二ヶ月間殴る蹴るが当たり前です。
酷いときはお金を借りさせてそのまま飛ばされたりした人もいたそうです。
そして辞めれないと分かり仕事をバックレたりした人は、社員一人がそのバックレた人の家に行き出てくるまで見張りをさせられます。
もう一人はSNSなどを使いバックレた人の周りの人に会いに行きどこにいるかを聞き込みに行きます。
もう一人はその人が行きそうなところなどをひたすら探し周ります。
残った人達で仕事をします。
それを1日毎に見つかるまでローテーションで交代で一人だけ睡眠が許された状態で行ってました。
私がいた時は、全部私が見つけていたので見つからなかったことはありません。
その後バックレて見つかった人は、職場に戻させられるか私たちが知らない場所へ消えていきます。
そういった恐怖もあり毎日見せられていたら頭もおかしくなり辞めたくても辞められませんでした。
最終的にどうやって辞めたかと言うと そもそも辞めると言うよりお店を潰しました。
5年間も働き連帯責任で給料もらえず治療費は自腹で流石に私も皆も精神と共に限界でした。
なので皆で話し合い私が幹部までなり社長の肩を持つ奴らを片っ端から首にしたり他の系列店に飛ばしたりしてそこのお店の最初の半年間は、売上全店舗のトップまで上り詰め誰にも文句の言えないようにしました。
そして毎月皆でチップや落ちてた小銭などを少しずつ貯金をし給料から毎月お金を少しずつもらい皆で貯金をしました。
その理由は、自分達でお店を出すということです。
どうしてかと言うとブラック企業の殆どは、後ろに警察の上の人や暴力団系の人が絶対にいます。(縄張り納めと言うのと他の暴力団が揉め事を起こさないようにするための用心棒みたいなものです。)
社長が唯一手が出せないのが警察関係と暴力団関係でした。
なので私たちは暴力団に毎月お金を払うと言うことで契約をしてお店を出すために数ヶ月貯金をして月が変わると同時に今まで働いていたお店に皆で辞めますという言葉手紙と辞表を書きお店を後にしました。
次の日僕らが居ないわけですから探されていましたけどその頃には、違うお店でオープンをしていましたし暴力団という用心棒がいるので社長は手も足も出ず僕らを諦めて行きました。
結局その後経営が苦しくなったらしく物凄い借金を抱えてお店は潰れたそうです。
私達が出したお店は少しブラックなのかもしれませんけど今日も沢山のお客様が来店してくれています。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
私は特殊な感じで辞めましたけど あなたが今辞めたいと思ったのならなにも考えずに辞めることを勧めます。
辞めようとして辞められないのであればその会話ややり取りを録音して警察に持っていくと良いでしょう。
その後もなにかと不安があるのなら何度も警察に相談するべきです。
ブラック企業の人は、警察を呼ばれたりするのを本当に嫌うのでやってみてください。
こういった企業は弱いものに攻めるのは強いのですが、弱いものに攻められることは慣れていないので是非諦めずに頑張って普通の人生のを取り戻しましょう。
上司に退職が認められず、半年経って転職先を決めて半強制的に辞めた飲食店勤務の20代女性、トトさんの例
私が当日25歳で新社会人として初めての就職をした企業です。
管理栄養士の資格を活かしてメディカルを中心とした給食会社で大卒として内定をもらい、2年目でとある店舗にマネージャーとして就任しました。
そこからおよそ2年間で退職を決めましたがそれまでは不満が多くとても長い期間に感じましたね。
まず、マネージャー就任の為の異動の件ですが、エリアを管轄する上司が異動先から変わるとの事で、今までお世話になっていた方とは別のエリアでの初のマネージャー業務になります。
マネージャー就任の話も以前勤めていた方が人間関係を理由に退職を申し出たことによる穴埋めからくるものだったので多少の覚悟はしておりましたが問題は人間関係よりも別の部分にあったのです。
というのも、新しいエリアの上司とは顔見知りだったので、上手くメールでやり取りを重ねどのように店舗を引き継いでゆくか話し合いを進めていました。
内容がまとまり「2〜3ヶ月は上司も定期的に直接店舗に来てもらい教わりながら営業する」という予定で無事異動を完了したのです。
しかし、問題はここからです。
その肝心な上司が部署を異動することが急遽決まり再び上司が変わる事になったのです。
異動してわずか1ヶ月後の話で次の上司は地方から左遷されてきた方…。
不安でいっぱいだったのですが案の定新しい上司自身もこちらのエリア事情をまだ知らないということで私の店舗は暫く見放された状態となったのです。
この事は異動した前上司にもこのままでは営業は長くは持たないと連絡を入れたのですが結局どうにもならず、毎月90時間の残業を強いられました。
とにかくやれるだけやってみようと1年間はなんとか続け、仕事は慣れてきたものの上司の待遇は相変わらずなので店舗の現状維持で精一杯である毎日に不満が溜まります。
一度、この状況が変わらないのであれば退職も考えている旨を上司に打ち明けました。
もう少しだけ頑張って欲しいと上手いことを言われ、不満だらけではありましたがそこからまた1年間努力を続けました。
分かってはいましたが期待するだけ無駄な結果となり、上司が変わって約2年経っても変わった点は無かったので2ヶ月後に退職しますと告げ、退職願も直接渡したところ翌日から急激に対応が変化しました。
まず初めに「明日から店舗のサポートに入る為辞めないでほしい」と来ました。
今まで散々放置され続けたのに突然にです。
そういう問題ではないと考えを変える気はない事を告げた所、別の店舗でマネージャー補佐をやらないかと言われました。
管理職から外れる事で残業も大幅に減らせますが、上司の待遇もさる事ながらこのような現状である会社そのものに不満がある為、異動した所で私の気は変わらないのです。
また、管理栄養士の資格を活かしたくて選んだ会社ですが、実際に働いてみると管理栄養士というよりは栄養士の仕事が多く、あまり資格を活かせていないと入社して2年経った頃から感じておりました。
いつかは病院直営の管理栄養士に転職をしようと考えていたのもあり、現在の給食会社を続けたいという意思もありませんでした。
上記の2つの理由で退職の希望を言い続けていましたが結果的には上司が退職を認めてくれず、このまま許可が出るまで待ってもいられません。
マネージャーのままでは自分の時間はなかなか取れないので仕方無しに異動しマネージャー補佐を勤めました。
そこで勤務しながら転職活動を進め、内定が出た所ですぐに上司に「2ヶ月後には次の仕事が始まるので辞めます」と半ば強制的に退職することができました。
このとき既に退職願を提出してから半年が経っています。
これまでに散々な扱いを受けたことの不満が大半ですが、その他にもこの会社に対する悪いイメージは多いです。
同期や先輩など退職希望者が非常に多い点や、今回のように上司を含め異動が頻繁に起こる点、異動の際に引継ぎがしっかりできていないケースが多い点、早めに提出した退職願をなかなか受理されない点など様々な理由でこの企業はブラックではないかと私の中で結論付けました。
残業手当はほんの一部のみしか入らず、有給休暇はほとんど消化できないのが当たり前で現場では人手不足を気にして従業員のほとんどが利用しにくい環境でもあります。
ボーナスは出ていましたが基本給が低めの企業なので役職手当や資格手当を頂いてやっと申し分ないと言った金額です。
当時の私はマネージャーの経験もできた事で他にこの会社で経験できる物が見出だせず、このまま続けるメリットが無いと判断したことで思い切って転職を決めることができました。
退職後暫くして同期から聞いた話ですが、私の居たエリアは赤字となっているそうです。
なにも改善されなかったんだと理解しあの時辞めて正解だったと今は思いますね。
転職は当たり前な時代、ブラック企業だと言われる会社がほとんどな中、下手に周りに期待せず踏ん切りをつけて転職することも大事だという事がこの経験で学べたと思います。
転職先では以前からやりたかった仕事も増え、会社の対応で困ると感じることももちろん無く楽しく働けています。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
私の場合企業に対する不満に付け加え仕事内容も自分には物足りないと感じステップアップしたいという目標もあったので一度決めた退職は気持ちが変わることがありませんでした。
自分が選んで入社した会社なので、一方的に辞めたいと申し出るのではなく会社と譲歩し合って辞めることが1番平和だと思っていますのでそこは気を付けて行動しておくべきではないでしょうか。
1つ確実に言えることは、転職によって他の仕事を知る事はとても重要だと言うことです。
仕事や会社を比べられるというのは今後の就職に必ず役立ちます。
もしもブラックだと不満を感じているのであれば、1つの企業に無理して拘りすぎず色々な知識をつける意味も兼ねて転職を一度考えてみてはいかがでしょうか。
「過労死なんてありえない」「辞めるなら懲戒免職にする」と言われ弁護士を雇って戦った飲食店勤務の20代男性、kyousukeさんの例
当時、私は大学を中退して、そのままフリーターになるのが嫌だったため、チェーン店の居酒屋に正社員として入社しました。
特に難しい面接等は無く、飲食店でのアルバイト経験を話して、「君は即戦力として活躍できる!」と言ってもらい、トントン拍子で入社が決まりました。
元々別の居酒屋でアルバイトをしていた経験もあったため、まぁ大丈夫だろうという気持ちで就職しました。
しかし、いざ働いてみるとそこはとてつもなくブラックでした。
まず現場の若年社員の相談や意見というのは、本部に一切取り合ってもらえませんでした。
基本、居酒屋なので閉店時間は夜中の1時頃で、閉店後に後片付けや発注などをしていると夜中3時頃に店を出ることは当たり前でした。
普通なら、2直制で、朝から夕方組と夕方から深夜組と分かれてるのですが、人がいないという理由で、朝8時にお店に行って、材料の搬入、9時から12時まで下ごしらえ、1時から開店までの2時間ほどは書類整理や帳簿付け、酷く汚れている箇所の掃除を一人で行っておりました。
店長に「一人では長く持たないしキツイです。」とは言ったものの、「アルバイトを雇っても長続きしないし、雇うほどの利益がない」と言われました。
しかし、帳簿や売り上げ管理は半分近く私がやっている為、どれくらい利益が出ているのかというのもわかっており、それを見ても全然人を雇えるだけの予算はありました。
最初は先輩に相談しましたが、みんな「まぁ慣れ慣れ」というばかりで全然頼りになりませんでした。
流石にちょっと限界が近づいたので、本社に理由を話し相談をしました。
すると本社は「確認をする」といったっきり何の返事もないまま2ヶ月ほど過ぎていきました。
するとある日、私が店長に呼び出され、「お前本社にくだらない事言ったな。」と言われました。
何のことかと聞くと、「この間の雇う雇わないについてだ」と言われました。
なんと本社は、「確認するのに相談者の名前や部署名、店舗名は言わないと」いっていたのに、普通に私が相談したと名前も部署も店舗名もいって、さらに他店にもそれで連絡を入れていました。
そこからは、とても辛いことだらけでした。
まず週1(たまに2日)の休みだったのが、完全週1になり、その休みの日も人がいないという理由で出勤をさせられるようになりました。
更に休日出勤の日はタイムカードを押すなとも言われました。
流石にそんな勤務方法が長続きするわけでもなく、1ヶ月ほどで胃潰瘍になり、その半月後には疲労で倒れて救急車で運ばれました。
医者には「このまま行くと絶対過労死する」と言われて、店長や本社の人に医者が事の重大さを説明していました。
すると本社と店長が、「過労死?なんでですか?疲れすぎて死ぬなんてあるわけないじゃないですか。ご飯食べて少しでも寝てるなら疲れなんてとれるでしょう」と言っていました。
一瞬、私はこの大人たちが何を言っているのか分かりませんでした。
そこで私は「このままだと会社に殺される」と思い、退職する事を決意しました。
そして1週間入院したあと、退職願いを持って店長に言いに行きました。
すると店長は、「入院していた分際で辞めたいとかぬかすな」と言いました。
しかし私は、「会社に退職したい人を無理においておく権利はない」と言いました。
そして数時間、そのような話を続けていたら店長が呼んだであろう本社の人がやってきました。
病院で医者に「過労死なんてありえない」といった人でした。
その人は、「まだ入って1年たってないでしょ?今辞めたら再就職は難しいよ?それに大学中退でしょ?経歴マイナスしかないよ?」と、不安を煽ってきました。
しかし、私は次に働く当てを決めていたので、「働く当てならある」と言いました。
すると本社の人が、「在職中に次の職を探すのは規約違反だ!」いってきました。
が、勿論そのような規約はないという事を事前調査で知ってたので、そのことを伝えました。
すると本社の人は、「分かった。じゃあ辞めてもいい。ただし、懲戒免職にする。」と言われました。
流石に懲戒免職になると、再就職先の内定も取り消されてしまうので、「それはおかしいだろ」と言いましたが、「続けるか辞めるなら懲戒処分」の一点張りでした。
そしてらちが明かないという事で、1ヶ月後までに答えを出すという事で、一旦保留という事になりました。
流石に私も何としても辞めたかったので、次に内定が決まっていた会社の広報担当に相談したところ、「弁護士に相談すればいい。紹介する。」といって数日後、紹介していただきました。
事のいきさつを弁護士に言ったところ、「まず過労で倒れた際の診察結果と、社員の人が問題発言をしたのを聞いていた医師に証言を取ってくる」となり、仕事を無理やり休んで病院に行きました。
また、メールで休みの日に出勤するよう言われたデータも全て提出したあと、数日、弁護士の人は何か作業をしていました。
そして弁護士に「じゃあ店長と本社と君と私で話し合おう」ということになり、話し合いの場が設けられました。
そこからは弁護士の人が私の代わりに全て代弁してくださいました。
辞めたいといってる人を辞めささない事の法律的根拠や、懲戒処分にする理由等、正当性があるのかといた後に、弁護士は会社の問題点につて述べられました。
まず、会社が労働基準違反を犯しているという事、そして脅しを行っているという事。
そして最後に、弁護士の方は書類を出し、「労働基準監督署への届け出と、不当な懲戒処分をチラつかせての脅迫を刑事事件として裁判を起こす、また未払いの残業代や休日出勤手当についても民事訴訟を起こす」という旨を伝えました。
資料はその申請書類でした。
あとはとても会社側も何か言っていましたが、弁護士の「じゃあそれを法廷で言ってくださいね」という言葉の一点張りで、見事、1か月後退職、更に有給と代休のを使用して約1か月間出勤しないでいいという風にしていただきました。
一応、未払い分の残業代と休日出勤手当については、訴訟を起こそうかとも考えましたが、もう2度関わりたくなかったので、弁護士費用の負担と、若干の慰謝料で和解しました。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
よく「うちを辞めたら他では通用しないよ」「再就職は難しいよ」なんて言ってくる人がいますが、そんなことはあり得ません。
むしろそんなブラックで働いてるんですから、次の企業にいったらその時の無駄に頑張っていた努力をもっと効率よくいかせるはずです。
長時間働いていたというのは武器になります。
それだけの長い時間集中して仕事が出来るというのは並大抵な事ではありません。
確かに少し再就職で苦労するかもしれませんがそんなことはどうにでもなります。
過労で死んでしまうか、転職するかは個人の自由ではあります。
ですが人生は1度切り、そんな苦労して働くよりも、もっと明るく楽しく働ける環境はたくさんあります。
是非どうしても悩んでしまったら、相談所や弁護士に相談しましょう。
一歩を踏み出さないと、何も変わりませんよ。
人生1度切り、もっと楽しみましょう。
上司に辞めると言っても辞めさせてもらえず、直接本社に行って辞めた日用品雑貨メーカーの40代男性、まめまめさんの例
私が勤めていたその会社は、特殊なブラック企業だったと思います。
私が勤務していた会社は2ケ所に営業所があり、私はその一つに勤務していました。
本社も遠い場所にあり、実質うちの営業所でトップに立っていたのが、私の上司でありました。
私たちの営業所は私とその上司と、もう一人女性の営業の3人だけで動いていました。
そして、何かブラックかというと、その上司と女性営業は男女の関係にあったのです。
上司は既婚ですので、要するに不倫です。
そんな中に私は一人でいました。
すでに、その状態だけでも居場所がないような状態でしたが、さらに追い打ちをかけるように、その上司はとにかく短気で乱暴で、口も悪かったです。
強面の取引先の人ですら、ビビってしまうほどの恫喝と説得力と言葉の巧みさを持っていて、迫力も十分でした。
そして、その女性もそんな上司に気に入られているので、すごく偉そうにしていましたし、さらには性質の悪いことにヒステリックな性格の女性ですぐに癇癪を起しておりました。
仕事中でもお構いなしに仕事のことや、他のことでも喧嘩をしていて、私は板挟み状態でした。
一方の味方をすれば、相手が怒り、その逆もまた然りで、どちらの機嫌もとっていかなければならない状態でした。
また、そんな理不尽な二人ですから、私への当たりも強かったです。
何か少しでも問題があれば私が疑われ、仕事でのミスの叱責はとことんされました。
仕事で意見を求められたので、意見をすれば反論され、意見をしなかったらしなかったで、なんでも人任せにするなと怒られ、八方ふさがりになった気持ちでした。
唯一心が休まるのは営業先に外出している時だけでしたが、それほど外出が多い営業でもなかったので、たまの外出は本当に嬉しかったです。
社内にいるときに、しいて良いときは二人仲良くてたまたま機嫌が良いときだけです。
その時は手のひらを返したように優しく、みんなで楽しくご飯食べてたりしました。
しかし、そんな時でも私は心から笑えなくなっていました。
どうせすぐ機嫌悪くなるんだからと心の底では思っていました。
そして、その予感はいつも当たります。
結局ちょっとしたことで喧嘩をし始めて、険悪な空気になるのです。
その繰り返しの日々を送ってきておりました。
そんな日々を過ごしているうちに、私は仕事自体にまったく興味がなくなってきてしまい、何のために仕事をしてるのか、何が楽しくて仕事をしているのか自分でもわからなくなってきてしまいました。
しかし、当時私は結婚したばかりでなかなか仕事を辞めるということも出来ず我慢して仕事を続けていました。
しかし、日に日に落ち込んだ気持ちが戻らなくなりました。
仕事も集中力も欠け、アイデアも出ず、気配りもできず、そうすると上司とその女性にさらに怒られる。
怒られるとさらに何もできなくるという悪循環に陥っておりました。
そして、精神は日に日に蝕まれていって、家でもまったく笑わなくなり、話しもほとんどしなくなり、嫁さんに心配かけるのが嫌で気分転換に散歩をと思って歩いていても気分は晴れず、結局3時間くらい彷徨って、逆に心配かけてしまったりで、自分でもどうしたらいいのかわからないくらいでした。
そんな時、嫁さんが私の両親に相談したらしく、両親がうちに来て病院にいくことを勧められました。
私としては病院にいくほどのことではないだろうと勝手に思っていたのですが、周りから見れば異常そのものだったようです。
後日病院に行きましたが、結果はうつ病の一歩手前。
このまま働いてるとうつ病になるよとのことでした。
そして、家族は全員すぐに辞めろとの話しになりました。
私は上司に辞めると伝えること自体すごく怖かったです。
当時は上司の恐怖に支配されていて、自分の意志は持てなかったのだと思います。
しかし、これで最後と思い、とにかく勇気を出して二人に辞める意志を伝えました。
しかし、私が辞めると自分のキャリアに傷がつく、そして単純に人手が足りなくなるということで、止められました。
怒鳴られました。
物を投げつけられました。
時に暴力的に、そして時に泣き落とし的に説得され続け結局辞めることを認めてはもらえませんでした。
しかし、このままでは到底辞めることもできないですし、また説得するのも私にはできそうにありませんでした。
そこで私は休暇を取り直接本社へ行きました。
人事の方と話しをして、ちょうど社長もいたので話しを聞いてくださいました。
診断書も提出して事情を話しました。
放置していた本社にも責任があると本社も認めてくれて、私はようやく辞めることができることになりました。
私はそのまま二人のいる営業所へは出社することなく辞めることができました。
引き継ぎは本社へ資料をまとめて送って、本社から営業所にその引き継ぎ書を出して業務をしていただくことになりました。
その後二人がどうなったかは私にはわかりませんが、何らかの処分を下すとのことでしたので、何らかの処分はあったと思います。
私は何とか周りの人に助けられ退職することができました。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
ブラック企業であれば、無理をせずに退職することをオススメします。
私のように心を病んでしまうと人生損してしまう時期が多くなってしまいますので、せめて心を壊す前までには辞めて、次の仕事先を探してください。
仕事はどこへいっても、もちろん大変です。
しかし、ブラック企業は大変の質が違います。
そこを見極めて、もし自分で見極められない場合は一度、ご両親や家族に相談してみて客観的に判断してもらうと良いかもしれません。
差別が酷い課長に嫌がらせを受け、ずっと辞めたいと思いながら働いていた運送会社の事務の20代女性、MRNさんの例
事務の仕事を探していた私は知り合いに運送会社の事務の仕事を紹介してもらい働くことになりました。
スーパーの運送会社なのでスーパーが営業している限り休みはない為、土日祝、お盆、年末年始、GW、などの長期休みは一切ありませんでした。
ですが事務員は三人いて年ごとに交代でお正月などは入るのですがそのシフトを組むのは課長で差別がすごいんです。
毎月毎月シフトが出るたんびに腹が立つのですが課長のお気に入りの事務員さんはいつも日曜日が休みなのですが私は毎月出勤になっていたり態度が全然違う事に気付き始めたんです。」
日曜日は必ず1人一回は休みがあるので他の事務員さんが指摘してくれたのですがわざとらしく間違えたの一言で終わりです。
他にもわからない事を聞いても無視をされのちのちみんなの前ではなぜ聞かなかったんだと怒られたり目上の人にはヘコヘコの癖に弱いものいじめがすごかったりしました。
その態度に気づいた私も課長が嫌いになり冷たい態度をとってしまっていたのですがそれが悪循環になり課長の態度がエスカレート。
事務員の基本的な仕事は伝票処理とエクセルなどの入力で大体2人いれば十分なので1人余ってしまうんです。
そのうちの私がターゲットにされ出勤して間もない頃、冷凍庫内の作業を手伝ってほしいと言われしていたのですがそこは夏でも寒いぐらい極寒で冬なんて最悪でした。
なので人が少なくいつも人が足りていない状態で私がうまいこと使われていました。
その日だけだと思っていたら次の日も次の日も昼からは庫内に行ってと課長に言われいつのまにか昼からは庫内作業が定着していました。
周りの事務員さんは寒いから嫌やよな可哀想と言いつつも何も対処をしてくれず言われるがままに働いていました。
庫内は寒い為体力も使うので暖かい部屋で座って作業をしてきる事務より給料はすごく良いはずなのですが給料日に明細を見ても事務員の給料と変わらないんです。
私が文句を言わない事をいいように表面だけいい課長。
その上に専務という人がいてその人がいる時は明らかに優しい課長。
大嫌いでした。
課長だけならまだしももう一つ食品会社のえらいさん達が離れた席にいるのですが、その内の1人のおじさんはあらゆる女の人をいやらしい目線で見て遅番の時その人と2人になるともう最悪でした。
2人で出かけようと誘ったりある事務員さんにはプレゼントをしたり携帯をのぞいたりセクハラがすぎていました。
改善のしようがなくみんなひたすら我慢するだけでした。
入社して1年目の年末年始を迎える頃、12月のシフトが出され見てみると年末の31日が遅番の私になっていて、1年目からもう入れられるんやと不満に思いながら、周りの事務員さんは可哀想と言いながらもやっぱり他人事で、渋々出ました。
遅番は19時までなのですが年末は特別に作業が終わったらすぐに帰らせてもらえるのですが、その日はデータがくるのが遅く中々帰れず、課長が早く帰らしたいけど無理やな〜とわざとらしく言ってきて腹が立ったのを覚えています。
結局19時をすぎて帰ったのですが次の日の1日は誰が出ると話し合いになっていてさすがに私は可哀想との事で1人の人が挙手してくれたのですがこれもきっと課長に任せていたら私になっていたと思います。
ちなみに1月2日から勤務しました。
ドライバーさんは朝が早い為基本的に17時あがりの人が多いのですが誤配送があったりすると課長にうまいこと使われ(特に言い返せないおじいちゃんなど)本当は帰れるはずなのに松阪から鈴鹿まで平気で行かせたりします。
たまに事務所に入ってくるドライバーさんにこんな時間までいたんですね。と声をかけると、ここはブラックやで早く辞めたほうがいいよ。残業代はつかんし14連勤なんて当たり前と言われやっぱりこの会社はブラックなんだ、楽しい事をこの会社に潰されとる気がすると思いその時に辞めようと決心しました。
でも理由が見つからないので何か辞める理由を見つけようと探していました。
そこから1年頑張って働きました。
課長がいる事務所にいない時の庫内作業がなんだか楽になってきて慣れてきた頃に私の結婚が決まり引越しすることになりました。
これだ!と思った私は今年は年末年始は休みたかった為、12月31日を最後に辞めようと思い1ヶ月前に課長に話すことにしました。
なにをいわれるかとすごく緊張しましたが、理由を聞かれ続けてほしいと引き止められた以外特に何も言われずホッとしました。
庫内作業だけでもいいから昼から来てしてほしいと言われたのですがする訳がありません。
そもそも私は事務がしたくて入社したのに話しと全く違う寒い庫内で5時間も作業をさせられ戻りたくないにきまってます。
それからまた12月のシフトが出たのですが31日をみると私が遅番になっており、最後に嫌がらせを入れてきたんやなと確信しました。
さすがに事務員さんが最後くらい早く帰らせてあげたらと伝えてくれた為早番にしてもらいましたが、私が帰る時間直前に課長はどこかへ行き、挨拶だけでもと思い探しましたがいませんでした。
最後の最後まで嫌われており最低な課長だなと思いました。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
ブラックだなと感じたり、ほかにしたい事とかがある人、別の仕事のが絶対楽やなと一瞬でも思った人は今すぐにその会社を辞めるべきです!時間の無駄です!
でも辞めたらなんか言われるとか自分の場所が空くなど思うでしょう。
私も思いました。
でも自分がいなくても会社ってなんとかなるんです。
あなたはうまいこと使われているだけです。
他にもっと生きがいになる苦にならない楽しい仕事があるはずなんです。
こんなに頑張っているのに給料が低いなんてアホらしく思いませんか?
私は今仕事に行きたいと思えるような職に就くことが出来、今までどうしてあんなところで働いていたんだろう、もっと早く辞めておけばよかったと後悔しています。
思い切って辞めたらすごく清々しく体がスッと軽くなった気がしますよ!
2か月後に辞める約束を破られ、辞めるときは解雇扱いで給料をもらえなかったスポーツ業界勤務の30代男性、サッカー好きだったなさんの例
私は27歳から29歳までの2年間、埼玉県にある某サッカークラブで働いていました。
夢であったプロサッカー選手にはなれませんでしたが、その経験を活かし、サッカーに携わっていきたいと意気込み、勉強してコーチのライセンスを取得し、正社員を募集しているクラブチームを探しました。
数少ない募集の中から、創設5年ながら、幼児から社会人までのカテゴリーを持つというチームを見つけ、次はコーチとして、Jリーガーになるような選手を育てたいという、新たな夢を抱き入社しました。
しかしながら、退社直前の頃には、全てを搾り取られてしまったかのような、無気力な状態で、家族にも心配をかけることになりました。
正社員として雇用され、コーチングスタッフとして、チームやスクール、そしてフットサル場を運営するのですが、毎日15時間以上の拘束が続き、土日となると家には帰れず、クラブハウスの床で2〜3時間だけ寝るというような日々でした。
最初のうちは他のスタッフと励まし合いながら、毎日頑張っていましたが、どんどん人が入れ替わり、気付けば退職前は自分が1番の古株となっていました。
保険関係は完備されているとの事でしたが、保険証を渡されるのになぜか半年かかりました。
辞めるまで1年間保険証をもらえないまま働くスタッフもいたくらいです。
休日も6日間となっていましたが、実質4日間あればいい方で、急な出社は日常茶飯事で、たとえ休みでも、容赦なく会社から私用の携帯に電話がきます。
身体的にも精神的にも非常に苦しかったです。
当たり前のように残業代の支払いは無く、更には有給休暇も使えないことから、大切な人の冠婚葬祭ですら出席することは許されませんでした。
何を訴えかけても「こどもたちへの責任を果たせ」の一点張りで、全く話しを聞いてはもらえませんでした。
そんな中、社長本人はというと、クラブの仕事を丸投げし、週に1度は繁華街にでかけ朝まで遊んでおり、月に1度は4日以上の海外旅行へと楽しそうに出かけていきます。
他のスタッフとともに、クラブハウスの床に寝ながら、悔しさと悲しさで、本当にあり得ないと強く思っていました。
極め付けは給料の支払いがいつも遅れることです。
毎月25日の給料日に給料が振り込まれるのは稀で、酷い時には5日も遅れたことがありました。
私には妻子がいるので、本当に困りましたし、妻の当時の苦労を思うと心が痛みます。
そんな生活が続いたある休日、1歳のこどもが父である私を家族として認識していない事に気付きました。
生まれてからほとんど家にいなかった事もあり、抱っこを嫌がり、お風呂を嫌がり、ご飯を嫌がり、まるで誘拐されるかのような泣き方をする我が子を目の当たりにし、鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚え、目が覚めました。
このままでは将来必ず後悔すると思い、30歳も目前という事もあり、夢を諦め、退職する覚悟を決めました。
しかし、社長に退職の旨を伝えても、すぐに退職させてはもらえませんでした。
こどもたちへの責任を果たせ、チームを壊す気か、今後サッカー界にいれなくしてやる、辞めるなら今月の給料は払わないぞ、損害賠償を請求する等、たくさんの罵詈雑言をあびました。
とにかく2ヶ月後までは許さないと言われ、穏便に退職したかった事と、確かにいきなり辞めるのは社会人としても良くないし、コーチとしてこどもたちにも失礼だと思い、それを受け入れ、我慢して約束の日まで働きました。
その間も休みはほとんど無く、長時間労働が続いていました。
そして約束の日、お世話になりました、今日で最後ですが、頑張りますという旨を社長に伝えましたが、彼から発せられた言葉は、労いの言葉ではなく、次は3ヶ月後まで許さないという信じられない言葉でした。
人がいないから仕事にならないと。
人材の確保や育成は会社の仕事だろうと、怒り心頭でしたが、穏便に済ませたいという一心で、さすがに疲弊していましたが本当に最後だと念を押し、もう少しで辞めれるというのを唯一の働くモチベーションとして頑張りました。
ですが、やはり体にも限界が来ていたのか、途中で体調を崩し、出社する事ができなくなりました。
電話にて体調不良を伝えると、案の定、心配をされることもなく、裏切ったな、おまえは解雇だ、給料は払わないからなと一方的に解雇されました。
あれだけ辞めさせてくれなかったのにいきなりの解雇通告に言葉が出ませんでした。
そして退職金が出るどころか、本当に給料も支払われず、今でも恨んでいます。
労基署に相談しましたが、タイムカードも無く、あれだけ働いたのにもかかわらず、働いていた証拠が無いと言われ、目の前が真っ暗になりました。
小学生のころからあれだけ好きだったサッカーから、距離を置きたくなり、見るのも嫌になってしまいました。
現在は別な業界で働いていますが、休みも給料も倍になりました。
休みの日には買い物や旅行にも行くことができる人生に変わり、私も家族も幸せに過ごしています。
今ブラック企業で働いてる人へのアドバイス
私からのアドバイスです。
他にも会社は世の中にたくさんあります。
限られた人生で、わざわざ待遇の悪い所で働く意味はありません。
すぐに辞める決断をするべきです。
どんな事をしても辞めるべきです。
待遇などは待っていても良くはなりません。
すぐに辞めましょう。
たとえ好きな事を仕事にできていても、人生の全てを仕事に注ぐというのは難しい事です。
自分だけの幸せではなく、まわりの見守り、応援してくれる人の幸せも考えないといけないと思います。
まとめ
以上、なかなか辞めさせてくれないブラックな会社をなんとかして辞めた人の体験談を紹介させていただきました。
ここに書いた体験談を書いた人のアドバイスがすべてです。
今ブラック企業で働いてる人は今すぐ辞めるべきです。
ブラック企業でどんだけ頑張って働いても決して報われることはありません。
ただただ人生の貴重な時間を無駄にするだけです。
ブラック企業の言いなりになるのはもうやめましょう。
勇気を出して辞める決断をし、上司に何を言われようと決してその決断を折り曲げてはいけません。
体験談にもあるようにブラック企業の上司はあらゆる口実を使ってあなたを引き留めにかかります。
それに負けてはいけません。
どれだけ上限関係があろうと辞めるときは対等な立場で「辞めさせていただきます。」とはっきり言うのです。
この記事にブラック企業を辞めるときの詳しいやり方を解説してるのでこちらも参考にして何が何でも辞めてください。
本当にこれ以上人生をアホみたいな会社のために無駄にしないでくださいね。